磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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「東京裁判」を読む

2010年02月06日 | 読書日記など
『「東京裁判」を読む』
   半藤一利、保阪正康、井上亮・著/
     日本経済新聞出版社2009年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「勝者の裁きだけでなく、敗者の反論も残されている。
国立公文書館史料は全国民必読の「歴史の書庫」。
感情論も政治的解釈も越えて、史実で史観のゆがみを正す時。
判決後60年、遂に現れた原資料昭和の戦争史はここから始まる」



資料を燃やし尽くした新聞社……。下「」引用。

「陸軍の悪口ばかりは言えない。新聞社もみんな日比谷公園に集まって、資料から写真まで燃やしてた。本当に日本人は歴史に対するしっかりとした責任というものを持たない民族なんですね。軍部だけではない、みんなが燃やしちゃったんですから。」

「南京虐殺事件の証言--裁判の大きな焦点」 下「」引用。

「日本側の証言では、無任所総領事として南京に入った岡崎勝男(戦後 吉田内閣の外相)の供述書がある。」

三方から攻めた。南方コースは大虐殺はなかった……。下「」引用。

「この南から行った人たちは、ものすごい大激戦をやったんです。ですから、捕虜虐殺とか、そんなことをする暇がない。本気になって戦っていましたから。-略-たしかに南から攻めた人たちに話を聞けば虐殺はないんですよ。ところが、揚子江沿いに行った兵隊たちに聞けばないとは言えないと思います。」

もくじ

紙芝居も言論弾圧されていた……。下「」引用。

「半藤 私もずいぶんみました、軍国紙芝居は。「空の神兵」のようなものをね。太平洋戦争が始まってからは、紙芝居は全部軍国紙芝居です。それまでは講談の「楠正成」とか「岩見重太郎」なんかがありましたが、そんなものはなくなってしまった。」



リットン調査団に謀略。下「」引用。

「保坂 リットン調査団に対してだって、日本はいろんな謀略をやってます。リットン調査団は満州に来て一カ月以上調べたんですが、そのとき護衛の名のもとに関東軍の兵士たちが付き添ったんです。そのときの兵士に「あんたの役割は何だったのか」と聞くと、「調査団に近づく中国人を追い返して、うるさいときには叩き切ることだった」と言うんです。関東軍も隠すのに必死で、調査団に酒を飲ませたり食わせたりしていますね。」

中江兆民の息子。下「」引用。

「保坂 話がずれますが、中江兆民の息子で中江丑吉(うしきち)という男がいます。変わり者で、東大総長になった南原繁と東大で同級生です。政治史をやっていて、北京に住んで満鉄調査部から金をもらって論文を書いていたんですが、対華二十一カ条反対デモに行っているんです。中国人と怒りを共有して、頭の中では共産主義になる。北京にいた日本の普通のインテリが「俺たちの国は何でこんなことをやるんだ」という感想を持ったほど、無茶苦茶だったということです。」

もくじ

格のない石原……。下「」引用。

「井上 石原莞爾は本来、証人ではなくて被告であるべきですよね。
保坂 太平洋戦争前の昭和十五年に陸軍を去っているということもあるでしょうが、格の問題じゃないですか。満州事変のときは単なる参謀でしょう。」

『わが闘争』について。下「」引用。

「その頃、ヒトラーの『わが闘争』が翻訳されて出た。それを読んで、海軍の強硬派が「井上(*成美)事務局長、あなたはヒトラーが日本をバカにしていると言っているが、そんなこと、『わが闘争』に書いてないじゃないか」と詰め寄ったら、彼が「バカ、俺は原文を読んでるんだ」と言ったという。翻訳では削っていたけれども、原文には日本人は劣等民族だと書いてある。」

もくじ

戦中に真珠湾の責任究明をしていた米国。

日本は戦後もせず……。海軍で一部、NHKが放送……。

広田、城山は書かない。下「」引用。

「陸軍にとっては、何でも言うことをきいてくれるから、こんないい人はいない。陸軍からの注文を蹴ることが一回もなかった。そりゃあ陸軍は「ああ、いい男だ」と思うよ。そういうことを城山さんは一切書かないんだ。」

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東京裁判で、ソ連死刑に反対。






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