『核時代の哲学と倫理-人類の生存のために-』
ジョン・サマヴィル(著)/芝田進午、
立花誠逸(訳)/青木書店1980年
カーターのような人物をまつりあげていたら、平和などくるわけがない!
--そう思える本……。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/91/1675cfcd53a3dc893d6c53131c52e92f.jpg)
「5 カーター大統領の核恐喝」という小タイトル。下「」引用。
「-略-カーター大統領は、一九七七年一○月四日、国連での政策演説のなかで一つの重要な声明をおこなった。カーターが実際に演説する前日、それについての最初の新聞発表では、大統領はアメリカが最初に核兵器を使わないであろうという趣旨の確約をしようとしているのとの印象がかもしだされた。しかし、実態はまったくちがった展開をした。カーターの声明はづきのようなものであった。
「わたくしは合衆国を代表して、われわれ自衛目的以外には、すなわち、合衆国つまりわれわれの領土や軍隊にたいする現実の核攻撃ないし通常兵器による攻撃、あるいはわれわれの同盟諸国にたいしてこうした攻撃がなされるという状況における以外には、核兵器を使用しないであろうということを、ここにおごそかに宣言する。」
国務補佐官が劇的に転換させたという。下「」引用。
「一九七五年七月一日、シュレシンジャーが劇的に転換させたさいにのべた。「われわれはいかなる状況のもとでも核兵器を先制使用しないと約束することはできない」と。ところが、カーターはこの核恐喝政策に大統領の承認印を捺したのである。」
だからといって、カーターに落ち度はないとはならない。
大統領はカーター。
カーターの二枚舌政策。下「」引用。
「カーター大統領は戦争をのぞんでいるのではないか。このような疑問を提出すると、わたくしがまじめであるのか信じがたいと、思われるかもしれない。しかし、わたくしとしては、こうした疑問を提出しないわけにはゆかない。
カーター大統領は、就任のそもそものはじめから、ソ連を対等にあつかわず、徳のあるものが徳のないものに語りかけるかのように、ソ連に人権をお説教する道をえらんだ。デタントは、まさしくその時点で終わったのだが、だれもそのことをみとめたがらなかった。おそらくカーター大統領自身も、こうした“お説教”によって、ソ連における人権が改善されるであろうと実際には考えなかったであろう。またアメリカ国民にしても、もし美辞麗句をつらねて人権を説くカーター発言が偽善でないとすれば、歴史的に搾取されつづけてきたアメリカン・インディアンの人権がなぜなおざりにされているのかと、疑問をいだいても不思議ではないだろう。そこで、大統領およびブレジンスキー・シュレシンジャー補佐官たちが期待し、のぞんだことは、冷戦への復帰であり、ソ連との可能な協力ではなく必然的な対決という方向であったと、われわれは結論しないわけにはゆかない。」
ブッシュ大統領は二枚舌にさえなれなかった……。
権威主義的であるカーター大統領。
--ブッシュ大統領には、これが欠けていた……。
栗原貞子の詩「アメリカよ 自らの手で 自ら滅びるな」が引用されていた。下「」引用。
「-略-
アメリカの英雄たち。
きのこぐもの下の地獄は
神はゆるしても
人間はゆるさない。」
いつ神が許したというのか……?
栗原の神は昭和天皇か? 神はゆるしなどしないだろう……。
キリスト教なら、個人的な裁きが死んで後あるそうだ……。
洗礼を受けたら、救われるというものでもないらしい……。
「カーター政権の危険性」という小タイトル。下「」引用。
「サマヴィル カーターの発言や行動からみたかぎりは、わたくしは最悪の大統領だと考えています。というのは、いままでの大統領でこんなに明確に、しかも具体的に、人類絶滅をもたらす核兵器の先制使用をおこなうなどと発言し、脅迫した大統領はいなかったからです。選挙の際にはおそらくカーター大統領はまったくちがった人物だったのではないでしょうか(笑)。平和についていろんなことを約束したがために、革新派や過激派などまでがカーター大統領は積極的に平和のために運動し、核兵器や原子力発電などを削減するのではないかとみていました。」
『核時代の哲学と倫理』
--嘘つきに騙されていたら、ひどい世の中になってしまう……。
その時、哲学も倫理も無意味であるかのようだ……。
やはり、学問より人、人そのものが肝心だろう……。
そして訳者は書く。下「」引用。
「なお、本書の版権料は、教授御自身の意思により、アリス・ハーズ記念基金にあてられ、ヒバクシャ支援にあてられる。同平和基金の趣旨については、アリス・ハーズ『われ炎となりて』(青木文庫)をみていただきたいが、教授のヒバクシャ支援のお気持に心からの謝意を表すものである。
ヒロシマ紀元三五年(一九八○年)八月六日
柴田進午」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/8d/c6d6e7d7acce21792cb41738cb72772c.jpg)
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ジョン・サマヴィル(著)/芝田進午、
立花誠逸(訳)/青木書店1980年
カーターのような人物をまつりあげていたら、平和などくるわけがない!
--そう思える本……。
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「5 カーター大統領の核恐喝」という小タイトル。下「」引用。
「-略-カーター大統領は、一九七七年一○月四日、国連での政策演説のなかで一つの重要な声明をおこなった。カーターが実際に演説する前日、それについての最初の新聞発表では、大統領はアメリカが最初に核兵器を使わないであろうという趣旨の確約をしようとしているのとの印象がかもしだされた。しかし、実態はまったくちがった展開をした。カーターの声明はづきのようなものであった。
「わたくしは合衆国を代表して、われわれ自衛目的以外には、すなわち、合衆国つまりわれわれの領土や軍隊にたいする現実の核攻撃ないし通常兵器による攻撃、あるいはわれわれの同盟諸国にたいしてこうした攻撃がなされるという状況における以外には、核兵器を使用しないであろうということを、ここにおごそかに宣言する。」
国務補佐官が劇的に転換させたという。下「」引用。
「一九七五年七月一日、シュレシンジャーが劇的に転換させたさいにのべた。「われわれはいかなる状況のもとでも核兵器を先制使用しないと約束することはできない」と。ところが、カーターはこの核恐喝政策に大統領の承認印を捺したのである。」
だからといって、カーターに落ち度はないとはならない。
大統領はカーター。
カーターの二枚舌政策。下「」引用。
「カーター大統領は戦争をのぞんでいるのではないか。このような疑問を提出すると、わたくしがまじめであるのか信じがたいと、思われるかもしれない。しかし、わたくしとしては、こうした疑問を提出しないわけにはゆかない。
カーター大統領は、就任のそもそものはじめから、ソ連を対等にあつかわず、徳のあるものが徳のないものに語りかけるかのように、ソ連に人権をお説教する道をえらんだ。デタントは、まさしくその時点で終わったのだが、だれもそのことをみとめたがらなかった。おそらくカーター大統領自身も、こうした“お説教”によって、ソ連における人権が改善されるであろうと実際には考えなかったであろう。またアメリカ国民にしても、もし美辞麗句をつらねて人権を説くカーター発言が偽善でないとすれば、歴史的に搾取されつづけてきたアメリカン・インディアンの人権がなぜなおざりにされているのかと、疑問をいだいても不思議ではないだろう。そこで、大統領およびブレジンスキー・シュレシンジャー補佐官たちが期待し、のぞんだことは、冷戦への復帰であり、ソ連との可能な協力ではなく必然的な対決という方向であったと、われわれは結論しないわけにはゆかない。」
ブッシュ大統領は二枚舌にさえなれなかった……。
権威主義的であるカーター大統領。
--ブッシュ大統領には、これが欠けていた……。
栗原貞子の詩「アメリカよ 自らの手で 自ら滅びるな」が引用されていた。下「」引用。
「-略-
アメリカの英雄たち。
きのこぐもの下の地獄は
神はゆるしても
人間はゆるさない。」
いつ神が許したというのか……?
栗原の神は昭和天皇か? 神はゆるしなどしないだろう……。
キリスト教なら、個人的な裁きが死んで後あるそうだ……。
洗礼を受けたら、救われるというものでもないらしい……。
「カーター政権の危険性」という小タイトル。下「」引用。
「サマヴィル カーターの発言や行動からみたかぎりは、わたくしは最悪の大統領だと考えています。というのは、いままでの大統領でこんなに明確に、しかも具体的に、人類絶滅をもたらす核兵器の先制使用をおこなうなどと発言し、脅迫した大統領はいなかったからです。選挙の際にはおそらくカーター大統領はまったくちがった人物だったのではないでしょうか(笑)。平和についていろんなことを約束したがために、革新派や過激派などまでがカーター大統領は積極的に平和のために運動し、核兵器や原子力発電などを削減するのではないかとみていました。」
『核時代の哲学と倫理』
--嘘つきに騙されていたら、ひどい世の中になってしまう……。
その時、哲学も倫理も無意味であるかのようだ……。
やはり、学問より人、人そのものが肝心だろう……。
そして訳者は書く。下「」引用。
「なお、本書の版権料は、教授御自身の意思により、アリス・ハーズ記念基金にあてられ、ヒバクシャ支援にあてられる。同平和基金の趣旨については、アリス・ハーズ『われ炎となりて』(青木文庫)をみていただきたいが、教授のヒバクシャ支援のお気持に心からの謝意を表すものである。
ヒロシマ紀元三五年(一九八○年)八月六日
柴田進午」
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