磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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核問題入門 歴史から本質を探る

2008年04月03日 | 読書日記など
『核問題入門 歴史から本質を探る』
   長崎正幸・著/頸草書房1998年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「インドとパキスタンが核実験を強行した。その基には、「冷戦最初の大作戦」と言われる広島・長崎への原爆投下に始る核大国の核固執の歴史が横たわつている。核問題の歴史における確信的な出来事を把握しなければ、核問題の本質は見えてこない。」



ハイドパーク覚書。ここですでにドイツではなく日本に使用と書かれている。下「」引用。

「一九四四年九月一八日、ルーズベルト大統領はハイドパークの彼の師弟でチャーチル首相と会談し、原子力・原爆開発問題について短い覚書を取り交わした。これがいわゆるハイドパーク覚書で、この中で二人は「“爆弾”が最初に使用可能となったときには、熟慮のうえ、たぶん日本に対してこれを使用することになろうが、その場合、降伏するまでこの爆撃が繰り返される旨を警告すべきである」と合意した(『資料・マンハッタン計画』」

スパイで死刑になったのも、生贄(いけにえ)のようですね。下「」引用。

「マッカーシズムの嵐 ソ連が原爆を保有すると、ソ連が米国の予想よりもはるかに早くそう出来たのはソ連のスパイ活動のためである、という考えが米国の指導層の中に持ち上がり、またその考えが盛んに報道されるようになった。そうした情勢の中の一九五○年七月七日、電気工ローゼンバーグ夫妻が原子力スパイ容疑で逮捕され、翌年四月五日に死刑判決が出された。有罪の根拠が薄弱で、でったあげではないかとの疑いも出され、多数の市民、ローマ法王、アインシュタイン、ラッセル、サルトル、その他多くの人から助命が呼びかけられたが、一九五三年五月一九日に処刑された。」

広島原爆 : 約60キログラムのウラン235の塊。
長崎原爆 : 約8キログラムのプルトニウム239の塊。

リビー博士の論理はウソだと今ではボクでもわかる……。下「」引用。

「一九五七年の四月に、米国原子力委員会のリビー博士は論文を発表し、その中で原水爆実験による放射線被曝量は、自然放射線量の地域的ばらつきの差よりも少ないから問題ないと主張したが、上述のことからこれら二つを比較するのは全く意味がない、と武谷氏は著書『原水爆実験』(岩波新書、一九五七年)の中で批判した。」

アイク提案によって中曽根が動く。下「」引用。

「茅(※茅誠司学術会議会長)氏の伝えるところでは中曽根氏は前の年、アイク提案のあった一九五三年に、原子力研究事情視察のために訪米していた。この訪米とアイク提案とが「中曽根予算」の下地になっていた。「中曽根予算」を含んだまま一九五四年度予算は国会で可決されたのであった。」

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今じゃ、権威ある学者もこのように働く人は少ない。
このころには私学助成などというものもなかった。
--いつものことは、徐々に強化され、社会問題があっても解決できないものになってきた……。


「原爆神話」のことも書かれてありました。下「」引用。

「原爆投下は「冷戦最初の大作戦」だったのであるが、戦後の歴代米政権は「原爆神話」を繰り返し言明してきた。そのために米国民にも「原爆神話」がかなり浸透している。」

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1937年4月26日、ゲルニカが都市無差別爆撃の歴史上初だったという。

「戦争責任」も書かれてあったが、一億総懺悔のようならば、うやむやでしかないとボクは思う。

アメリカが原爆投下をしたのは正確な表現ではなく、アメリカの軍国主義者が原爆投下をしたが正確だと思う……。










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