『たたかいの作家同盟記-わが文学半生記・後編-上』
江口渙・著/新日本出版社1976年
最初のころに書いてあります。下「」引用。
「あらかじめことわっておくが、これから書くのは作家同盟の歴史ではない。四年間はほど作家同盟の中央委員長をしていた私の思い出である。
日本プロレタリア作家同盟が東京の浅草橋場の親愛会館でさかんなる結成大会をもち、プロレタリア文学運動の輝かしい組織的な大躍進をはじめたのは、一九二九年二月十日のことである。そして天皇制警察の無法な弾圧によってやむなく解散したのが一九三五年の五月だとおぼえている。だからすべては三十何年かまえの出来事である。それをいまからとおい記憶をたどって書こうというのだから、なかなかたやすいことではない。-略-」
日本のテロリズムのことが書かれてある。
それをまるでヒーローのように扱っているとしか、戦後生まれのボクには思えない……。
「六、渡辺政之輔と山本宣治の死」というタイトルがあった……。下「」引用。
「渡辺政之輔の死を「自殺」ということにして警視庁から母に通知された。射殺したものをなぜ「自殺」として通知したか。「自殺」としておかないと基隆(キールン)水上警察のマイナスはさらに責任上の重大な問題を引起してくるので、自分たちの法律上の責任をのがれるためにこんな恥しらずのウソをついたのである。」
山本宣治……。下「」引用。
「三月六日の新聞は一せいに大きなページをさいて、山本宣治の暗殺を報じた。それをよむと私は非常なショックをうけた。とくに日本フェビアン協会の京都の講演のとき、控え室で彼と親しく話をしたり、その晩おそく宇治まで歩いていって、花屋敷にとめてもらったこともある。だからこのニュースからうける衝撃はただの暗殺事件からうけたものとはちがう。」
暗殺のかげには、警視庁関係者が……。下「」引用。
「黒田保久二をせんどうして山本宣治を殺されたのは、警視庁捜査課の有松警部だといわれている。そのため巨額の金をやっている。その上、共産主義者を殺したところで大丈夫無罪か執行猶予にきまっているから安心してやれとまで保証したということである。だが、有松警部はそもそもはじめからの計画者ではない、と私は思う。その奥の奥には田中反動内閣の実力者のだれかが動いていたことは、推測するにかたくない。」
「あとがき」にこんなことが書かれてあった……。下「」引用。
「こんど新日本出版社から『たたかいの作家同盟記(上)』を『わが文学半世紀・後編』として出版することになった。」
『たたかいの作家同盟記-わが文学半生記・後編-下』
江口渙・著/新日本出版社1976年
パンフを出すことになったという……。下「」引用。
「一九三一年のたしか八月はじめ-略-「こんど作家同盟から毎月宣伝用のうすいパンフレットを出すことになった。その第一号を関東大震災の記念日である九月一日江東地区の工場地帯にばらまきたいと思っている。ぜひ亀戸事件を書いて欲しい」というのだ。」
亀戸事件について……。下「」引用。
「亀戸事件については、このような大量虐殺がおこなわれてから一月とはたたないうちに、小牧近江を中心に結集されている左翼文化文学集団である「種蒔き社」の人びとが、いろいろと手分けをしてくわしく実地調査をした。それが『種蒔き雑記』という貴重な報告書になって出されている。もちろん発行と同時に禁止されたが、こんにちでは三一書房から出ている『日本プロレタリア文学大系』第一巻(運動台頭の時代)のなかにおさめられているから、読者諸君はぜひ読んでほしい。」
起訴されたという……。下「」引用。
「作家同盟パンフレットで起訴されたというのだ。たしか「発禁手ぬるしと刑事処分。警視庁、江口渙を起訴」という表題(みだし)だけは大きいくせに本文は短い記事である。」
こんなことを新聞で本人が読むこともあるのか……。下「」引用。
「-略-また別の記事が「読売新聞」に出た。「作家同盟幹部の一斉検挙」という表題だ。記事の取りあつかい方は前より小さい。ところがよく見ると内容は大へんなことが書いてある。「江口渙、小林多喜二、中野重治、-略-その他プロレタリア作家同盟の中心幹部は、目下拘禁中の共産党幹部佐野学、市川正一、徳田球一、その他を奪還する目的をもって、爆弾を用い市ヶ谷刑務所爆破の計画中当局の探知するところとなりこのほど一斉に検挙された。」
という、まことにものものしいものである。」
「二十五 われらの陣頭に倒れた小林多喜二」というタイトルの文章がある。
--他の人がかいている小林多喜二像とちがって、ものすごく男らしい感じがした……。
目次
江口渙・著/新日本出版社1976年
最初のころに書いてあります。下「」引用。
「あらかじめことわっておくが、これから書くのは作家同盟の歴史ではない。四年間はほど作家同盟の中央委員長をしていた私の思い出である。
日本プロレタリア作家同盟が東京の浅草橋場の親愛会館でさかんなる結成大会をもち、プロレタリア文学運動の輝かしい組織的な大躍進をはじめたのは、一九二九年二月十日のことである。そして天皇制警察の無法な弾圧によってやむなく解散したのが一九三五年の五月だとおぼえている。だからすべては三十何年かまえの出来事である。それをいまからとおい記憶をたどって書こうというのだから、なかなかたやすいことではない。-略-」
日本のテロリズムのことが書かれてある。
それをまるでヒーローのように扱っているとしか、戦後生まれのボクには思えない……。
「六、渡辺政之輔と山本宣治の死」というタイトルがあった……。下「」引用。
「渡辺政之輔の死を「自殺」ということにして警視庁から母に通知された。射殺したものをなぜ「自殺」として通知したか。「自殺」としておかないと基隆(キールン)水上警察のマイナスはさらに責任上の重大な問題を引起してくるので、自分たちの法律上の責任をのがれるためにこんな恥しらずのウソをついたのである。」
山本宣治……。下「」引用。
「三月六日の新聞は一せいに大きなページをさいて、山本宣治の暗殺を報じた。それをよむと私は非常なショックをうけた。とくに日本フェビアン協会の京都の講演のとき、控え室で彼と親しく話をしたり、その晩おそく宇治まで歩いていって、花屋敷にとめてもらったこともある。だからこのニュースからうける衝撃はただの暗殺事件からうけたものとはちがう。」
暗殺のかげには、警視庁関係者が……。下「」引用。
「黒田保久二をせんどうして山本宣治を殺されたのは、警視庁捜査課の有松警部だといわれている。そのため巨額の金をやっている。その上、共産主義者を殺したところで大丈夫無罪か執行猶予にきまっているから安心してやれとまで保証したということである。だが、有松警部はそもそもはじめからの計画者ではない、と私は思う。その奥の奥には田中反動内閣の実力者のだれかが動いていたことは、推測するにかたくない。」
「あとがき」にこんなことが書かれてあった……。下「」引用。
「こんど新日本出版社から『たたかいの作家同盟記(上)』を『わが文学半世紀・後編』として出版することになった。」
『たたかいの作家同盟記-わが文学半生記・後編-下』
江口渙・著/新日本出版社1976年
パンフを出すことになったという……。下「」引用。
「一九三一年のたしか八月はじめ-略-「こんど作家同盟から毎月宣伝用のうすいパンフレットを出すことになった。その第一号を関東大震災の記念日である九月一日江東地区の工場地帯にばらまきたいと思っている。ぜひ亀戸事件を書いて欲しい」というのだ。」
亀戸事件について……。下「」引用。
「亀戸事件については、このような大量虐殺がおこなわれてから一月とはたたないうちに、小牧近江を中心に結集されている左翼文化文学集団である「種蒔き社」の人びとが、いろいろと手分けをしてくわしく実地調査をした。それが『種蒔き雑記』という貴重な報告書になって出されている。もちろん発行と同時に禁止されたが、こんにちでは三一書房から出ている『日本プロレタリア文学大系』第一巻(運動台頭の時代)のなかにおさめられているから、読者諸君はぜひ読んでほしい。」
起訴されたという……。下「」引用。
「作家同盟パンフレットで起訴されたというのだ。たしか「発禁手ぬるしと刑事処分。警視庁、江口渙を起訴」という表題(みだし)だけは大きいくせに本文は短い記事である。」
こんなことを新聞で本人が読むこともあるのか……。下「」引用。
「-略-また別の記事が「読売新聞」に出た。「作家同盟幹部の一斉検挙」という表題だ。記事の取りあつかい方は前より小さい。ところがよく見ると内容は大へんなことが書いてある。「江口渙、小林多喜二、中野重治、-略-その他プロレタリア作家同盟の中心幹部は、目下拘禁中の共産党幹部佐野学、市川正一、徳田球一、その他を奪還する目的をもって、爆弾を用い市ヶ谷刑務所爆破の計画中当局の探知するところとなりこのほど一斉に検挙された。」
という、まことにものものしいものである。」
「二十五 われらの陣頭に倒れた小林多喜二」というタイトルの文章がある。
--他の人がかいている小林多喜二像とちがって、ものすごく男らしい感じがした……。
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