磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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山本宣治-人が輝くとき

2009年04月06日 | 読書日記など
『山本宣治-人が輝くとき』
   本庄豊・著/学習の友社2009年

勤続年数だけが長いだけの議員ではなく、このような議員の銅像を国会につくってほしいものです。
--平和憲法下の日本政府なら、当然そうすべきだろう……。
だが、現実は平和憲法に違反する行動をとっているのが日本の与党とその他!
--軍事関連を聖域とする、山本宣治を殺した側の人たちが政治を握っているといっていいかと思います……。



ネットでの図書館の説明。下「」引用。

「戦争と戦争を遂行する治安維持法体制に命をかけて反対し倒れた、ただ1人の国会議員、山本宣治。産児制限運動、無産者診療所、労働者教育運動などに功績を残した多彩な活動を、周辺にいた人びとを通して見つめ直す。」

「まえがき」に書かれてあります。下「」引用。

「山本宣治(愛称「山宣」、一八八九年~一九二九年)を知っていますか。中学校の歴史教科書(日本書籍新社発行)に載っている人です。今から七○~八○年前の一九二○年代は、大正デモクラシーと呼ばれた日本の民主主義の花が開いたつかの間の時代から、昭和という暗い戦争への橋渡しの一○年でした。この一○年を矢のように駆け抜けた一人の性科学者・社会運動家がいました。それが山宣です。
 山宣は、一九二八年二月に実施された最初の普通選挙に京都第二区より立候補し当選。翌月に起こった「三・一5治安維持法違反事件」被害者救済のため、国会内外で精力的に活動します。最高刑を死刑にする治安維持法改悪の緊急勅令の事後承諾案件に反対する議会での発言を封じられ、翌年三月五日夜、右翼・黒田保久二の凶刃により、東京神田の旅館光榮館で三九歳の生涯を閉じました。一年一か月の代議士活動でした。
 山宣は産児制限運動家の殻を脱ぎさり、小作争議の指導者として農民教育に、京都労働学校の教師・校長として労働者教育に携わっていきました。-略-」

「序章 小林多喜二がたずねた山宣の生家「花やしき」」
--1930年5月18日のことだったという。

「花やしき」の客。下「」引用。

「坂正臣、吉井勇らの歌人が、また小説家では、永田幹彦、谷崎潤一郎、近松秋江などが花やしきを定宿としました。多年の文学趣味が文人に愛されたからです。多年は商売気なしで、遠来の客として文人たちをもてなしました。文人たちは祇園で遊び、宇治花やしきで筆をとったのです。-略-」

山宣は幼児期から少年期をクリスチャンとして過ごしたという。

城南小作争議……。下「」引用。

「山本宣治は南山城に強固な選挙地盤を築きました。換言すれば、山宣の当選は城南小作争議なしにはありえなかったのです。」

青年活動家たちが山宣を支えたという。下「」引用。

「京都府宇治市以南を「南山城」と呼びます。一九二八年二月に実施された初めての男子普通選挙において、山宣当選の原動力となったのは、南山城地域の青年活動家たちでした。」

今でも会があるという……。下「」引用。

「京都の宇治山宣会のほかに、全国には山宣会と名のつく団体が三つあります。愛知山宣会、大阪山宣会、そして長野山宣会です。いずれも山宣を顕彰することを目的に活動しています。-略-」









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