磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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萬歳岬の虹-玉砕島からの証言-

2009年06月25日 | 読書日記など
『萬歳岬の虹-玉砕島からの証言-』
   松浦総三、鈴木均、早乙女勝元・編著/時事通信社1977年

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「戦争中、日本軍に、食糧としてテニアン島へもちこまれたひき蛙は、戦争が終わった後も島に住みついた。蛙たちの一部は島の井戸に、水を求めてか飛びこみ、這い上がれず死んでいく、という。」



サイパン、テニアン島は、「玉砕」の場だったという。
そして、テニアン島は、ヒロシマ・ナガサキの原爆搭載機が発進した地でもある……。

マッカーサーとアイゼンハワー。下「」引用。

「アメリカ側でも、太平洋戦線とくにマッカーサー摩下の軍隊は報道管制がきびしかったことは有名である。ジョン・ガンサーは「マッカーサー元帥の検閲は、ほかの戦場、たとえばアイゼンハウアーの指揮した戦場とは、くらべものにならぬほど新聞記者の仕事を困難にした」(『マッカーサーの謎』)と書いている。事実、マ元帥と新聞記者団の喧嘩は年中行事であった。マーク・ゲインは「われわれはマ元帥のことになると冷静に議論することは不可能であった」(『ニッポン日記』)と書いていることでも分るであろう。」

テニアン最南端カロリナス岬「シューサイド・クリフ」 下「」引用。

「岬にたどりついたら、急に風が強くなった。眼下にどうどう白い波しぶきが上って、うっかりすると吹き飛ばされそうである。腹ばいになって下をのぞく。ほとんど垂直に近い、切りたつような断崖だ。何十メートルあるか、目もくらむばかりの絶壁で、私は一瞬目を閉じた。
「シューサイド・クリフです」
 松本氏が言う。
「ここから、みな飛びこんだのですね。天皇陛下万歳をさけびながら」
「ええ、その場所だといわれてますけど、ここへくる人はめったにいません。-略-」

何人身を投げたかわからないという……。

美名「玉砕」のもとに責任回避した大本営! 下「」引用。

「サイパン島約二万名(チャモロ族二○○○名)、テニアン島約一万五七○○名(朝鮮人二七○○名、中国人四名、チャモロ族二六名)、両島の一般市民およそ三万五○○○をこえる人が、日米両軍の激闘に巻きこまれ、一万三○○○名をこえる尊い人命が理不尽にも奪い去られた。これは日米両国の支配者による虐殺であり、一般市民の側から見るならば正に憤死である。大本営はサイパン、テニアンを見捨て「玉砕」の美名のもとにみずからの責任を回避してしまった。なぜこのような地獄の悲劇に一般市民が巻きこまれたのだろうか。それは偶然におこった悲劇ではない。」

洞窟の中では、沖縄戦と同様であったようだ……。下「」引用。

「洞窟の奥深くじっと身をひそめ、息を殺していた。そんなとき、空腹と渇きと恐怖で赤ん坊が泣くと、「赤ん坊を泣かせるな!」「泣くなら殺してしまえ!」と敵に発見されることを恐れる、いらだった将校や兵隊の叫び声が母親をおどした。
 母親はおろおろと子どもの口をふさぎ、なだめ、子どもの上におおいかぶさった。子どもが泣きやんだと思うと、子どもはぐったりと息をひきとり、放心したままの母親もあった。銃を顔を真っ黒に汚し、狂ったようわが子を抱きしめていたその母親は、獣のような叫び声をあげながら洞窟を飛び出し、断崖から身を躍らせて海中に飛びこんでいった。洞窟のなかに身を隠しているだれもが、このみじめな母親の死をとめることができなかった。
 部隊が全滅し、生き残って所属を失った兵隊たちが、やけくそになって、無暴なことをやった。『死の彷徨』(吉田礼子、浪速書房)は、当時の悲惨な様相を克明に記録している。」








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