磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ヒロシマのこだまに メアリ・マクミランと広島

2007年12月22日 | 読書日記など
『ヒロシマのこだまに メアリ・マクミランと広島』
  刊行委員会(編)/代表 藤原茂/渓水社1980年

メソジスト派のキリスト教徒の方が広島を去られる時に出版された本のようです。



なぜ、こだまなのか? 下「」引用。

「私は生まれ故郷のフロリダに帰り、引退します。花の町・フロリダで、私は日本からのキリストのミッショナリー『ヒロシマの声』のこだまとなりましょう。私は何十年も被爆者の間で暮らして来ました。その方々は私の国が彼らに対して行ったことにも拘わらず、私を友人として受け入れて下さったのです。その声を決して忘れることはできません。」

広島市長 荒木武の贈る言葉。下「」引用。

「-略-マクミランさんは、日本とアメリカを結ぶ心の架け橋の役割を果たされた方ですが、私にはアメリカ人というより、一人のヒロシマ市民であったというように思われます。御承知のように、ヒロシマには毎年海外から数多くのお客様が訪れます。それぞれにヒロシマを発見し、深い感慨を胸に抱いて帰国されるのですが、マクミランさんのようにヒロシマと共に歩もうとされる方は決して多くありません。-略-」

原田東岷も。下「」引用。

「また会いましょうメアリさん
            原田東岷
 メアリ・マクミランさんが、ヒロシマを去られる直前に、このような本の置き土産にされることは、大変有難いことである。実は私たち、ワールド・フレンドシップ・センターの連中も、昨年八月、メアリさんが去られることを聞いて、彼女が何ものよりも愛して来られた広島に、こういったプレゼントを残して行って欲しいということを御願いしたのであったが、思ったよりも早く、それが実現した。-略-」

戦前に来日されましたが、帰国。
--そして、再来日。下「」引用。

「5フィート5インチ。大柄でアメリカ娘が広島駅に再び姿を魅せたのは、一九四七年一月のことだった。メアリ・コナリー・マクミラン。三十四歳。この年、日本国憲法が施行された。
 駅頭には、広島の娘たちが出迎えにきていた。皆そろえたようなモンペ姿。ホオのそげた娘もいた。あたり一面は焼け野が原、橋も川に落ちたまま放置されていた。焼け残った家々は歪み、屋根は雨漏りがした。物価は天井知らずにハネ上がった頃だった。特に新鮮な野菜が高かった。道端の両側には、ヒネこびた野菜が植えられていた。」

『ライス・クリスチャン』にならないようにと教えておられます。下「」引用。

「メアリは、『ライス・クリスチャン』にならないように注意した。ライス・クリスチャンとは、キリスト者になれば物質的に恵まれ、得をするぐらいの意味である。そうであってはならない。キリスト教とは、戦争や原爆などのひどいことがずいぶんあってはならない。キリスト教とは、戦争や原爆などのひどいことがずいぶんあったけれども、そこから立ち上がる力のことなのだ。そうメアリ・マクミランは学生に教えた。」


「折鶴の会」を支えられた河本一郎さんのことも書かれてありました。下「」引用。

「河本君は、南米(ペルーかチリ)で生まれ、クリスチャンだったお父様を亡くし、お母様と戦争の終わる前に広島に帰ってきました。私が初めて彼と会ったのは、日本友和会(F・O・R)、つまり、平和運動、非暴力で社会問題を解決しようとします会で会いました。」













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