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女性史を拓く-国立市公民館女性問題講座「歴史」-4 「慰安婦」問題と戦後責任

2009年05月17日 | 読書日記など
『女性史を拓く-国立市公民館女性問題講座「歴史」-4 「慰安婦」問題と戦後責任』
   鈴木裕子・著/未来社1996年

図書館の説明文。下「」引用。

「日本軍慰安婦問題が国家犯罪として問われている時、我国は民間基金でそれに替えようとしている。侵略と加害の認識を欠落させた歴史観、被害者意識のみの戦争観がどう作り出されてきたかを検証する。」



玉砕したと書かれてある……。下「」引用。

「なお五○年前のいまごろは沖縄戦のまっただなかでたくさんの沖縄の女性・市民、連行されてきた朝鮮人「慰安婦」の人たちが殺されたり玉砕を強いられたりしていました。-略-」

米軍のためニッポン国営慰安婦についても書かれてありました。下「」引用。

「その一方で、当時、内務省警保局は何をやったのか。敗戦直後に、内務省がおこなったもう一つのことを見たいと思います。-略-「外国軍駐屯地における慰安施設に関する内務省警保局長通達」-略-敗戦が八月一五日でした。その三日後の八月一八日に先ほどの婦女子にたいする警告を出した役所である内務省警保局、その局長名で全国の警察署長にマル秘で出されている通達がこれなのです。」

募集の手口? 下「」引用。

「わたくしは当時二○歳の人で募集を聞いていったという女性に偶然、会ったことがあります。行ってびっくりしたというのです。女事務員を募集していると聞いていったところ、どうも様子が違う、そこでほうほうの体で逃げてきたというのです。現在、千葉県に住んでいますけどもそういう方がおられました。その人はその後、国鉄に入りまして、総裁室の秘書をした方なのですが、それは何もこの方一人の例だけではなかったと思います。ほんとうに女事務員というつもりで行って、実はこの人のようには帰らずに、家の事情等々で嫌だったけれども、やむなくその仕事に従ったという人もいたということも聞いています。」

池田勇人……。下「」引用。

「この特殊慰安施設協会は占領軍の先遣隊が入ってくるのが八月二八日ですから、それに間に合うように設立されるのです。その協会の目論見書によりますと、その目的は「関東区駐屯軍将校並びに一般兵士の慰安施設」づくりなのです。この目論見書には、指導委員会というものが出てきて、それには内務省、外務省、大蔵省、運輸省に東京都、警視庁それらの各関係部署が、集まって組織されるとあります。政府まるがかえなわけです。そして警視庁は八月二八日正式認可を下します。
 特殊慰安施設協会はまず、ともあれ金づくりと称しまして当時の大蔵大臣津島寿一の命令を受けまして、のちに首相になりましたが、当時大蔵省主計局長だった池田勇人のところへ相談に行きました。池田は開口一番「一億円まで出そう。大和民族の純血を守るのに、一億円は安い」と言ったというのです。」

制度はなくなったけれど、土壌は戦後も残っているようだという……。下「」引用。

「一九五一年に講和条約が調印されます。その年は前年の朝鮮戦争による「特需景気」で栄えた年なのです。日本にある米軍基地から米兵たちを乗せて飛行機が行くわけです、あるいは帰ってきます。その時の「洋パン」の数は一二万五○○○人に膨れあがったといいます。
 ベトナム戦争のときに沖縄のときに沖縄の米軍基地からベトナムへ飛び立った米軍機が行き、帰ってくる。そして沖縄の女性たちをベトナムから帰還した米兵たちが買うという、それと同じ構図です。沖縄にはそれがずっとあったわけです。いまもある。いまだにある。湾岸戦争などのときも、沖縄ではたぶん同じような状況が生れたと思います。
「従軍慰安婦」制度を生んだ土壌が敗戦後もそのまま残ったということです。そして沖縄ではいまも残っているということです。占領下で終わったわけではない。-略-」

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市川房枝の敗因論……。下「」引用。

「敗戦の原因の一つに“女性の総動員化がソ連、米国に比して遙かに遅れ、かつ少なかった”ことを指摘」

社会党……。下「」引用。

「社会党は、野党時代には元「慰安婦」の人を含む戦争犠牲者や日本の戦争責任にたいする謝罪・反省、真相究明、賠償をうたい文句にしてきました。中身はともあれ、形のうえではそれが社会党の戦後賠償政策でした。-略-
 ところが、一九九四年六月に村山内閣ができ、そのとき三党合意がなされる。その三党合意の一つとして先日の「戦後五○年決議」がまずあったでしょう。あるいはいまいった「慰安婦」問題等に関する合意も含まれていたのではないか、と推測されます。そこで社会党は政策を転換させました。つまり政府(国家)による個人賠償は求めないということを、われわれ市民には言わなかったけれども、山党のなかではその方向で合意をみたと思います。いままでいってきたいきさつ上、何らかのことをしないといけないというわけで、にわかにとびついたのがお蔵入りになっていた「見舞金」構想だったと思います。」

“妾腹”……。下「」引用。

「-略-大正天皇は、平ったく言うと、明治天皇の“妾腹”の子なんです。柳原二位局という女官(柳原愛子)さんに生ませたのが大正天皇、つまり昭和天皇の父」

こんな表現は誰であろうと差別視していないか?
--女性蔑視でもあろうし、生れてきた子を物のように扱っていないか?
当時の常識は現在とは異なるだろう……。

女帝を否定したのはクリスチャン。下「」引用。

島田三郎という人がいます。この人はクリスチャンで、のちに廃娼団体の廓清会の会長になった人です。毎日新聞の社長でもありました。広い意味でいえば、リベラリストです。彼は女帝に賛成だったかというと実は反対だったのです。なぜ反対か、彼は女帝を非とする理由として三つあげています。-略-」

「「慰安婦」犯罪にたいする処罰は、国際レベルでの法的先例を確率する決定的問題--クマラスワミ氏の予備報告書」についても書かれてありました。






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