磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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空白の天気図

2008年02月09日 | 読書日記など
『空白の天気図』
   柳田邦男・著/司修・装幀/新潮社s50年、同年3刷

気象台の人たちを取り上げた作品です。ボクにはどうも理解に欠ける部分がありました。暇ができたら、再度読みたいと思いました……。



委員会があったという。下「」引用。

「文部省学術研究会議(通称「学研」)が、原子爆弾災害調査研究特別委員会を設けたのは、九月十二日であった。委員長には学研会長で東京帝国大学名誉教授の林春雄博士が任命され、委員会は九つの分科会で構成された」

1 物理学科学地学科会
2 生物学科会
3 機械金属学科会
4 電力通信学科会
5 土木建築学科会
6 医学科会
7 農学水産学科会
8 林学科会
9 獣医学畜産学科会


--戦時中、気象は軍と合同勤務……。
気象電報用の専用回線は二つあり、もとは気象台のものであったという。
敗戦となり。下「」引用。

「戦争が終わっても気象業務は続けているのです。平和になったこれからこそ気象は大切なものになるのです」

戦時中には、地図も気象も極秘となる……。
不便な生活が強いられる……。

気象台の人も被爆し、怪我をし軍医にみてもらうが、赤チンと軟膏を塗ってもらっただけだという。

血文字が書かれてあったという。下「」引用。

「屍体置場の傍に、「死体収容所」と朱色で書かれた紙片が掲示されていた。その字を見て高杉はハッと思った。その字は明らかに血で書かれていた「死体収容所」の字の横には収容屍体のうち身許の判明した者の氏名が列記してあったが、それも血で書かれてあった。高杉は背筋が寒くなるような気がした。」

--8月27日 新しい台長・菅原芳生が到着し語った。下「」引用。
「東京では原爆の被害がどんなものなのか、はっきりわかっていないから、よく調べろと、中央気象台の藤原先生に命じられて来たのだが、この被害は想像を越えたものだ。駅から歩いて来たのでよくわかったよ。それにしても気象台がこれだけの被害で済んだのはよかった」

今では、わかっていることでも当時では把握できていなかったのが自然だろうと思う。

一度は報道されても、否定される報道があればどちらが正しいか、すぐには理解できない。

チェルノブイリもそうだった。一度は伝えられたが、そしてプレスコード……。

気象台の職員たちも死亡されたそうです。

--津村という職員は精神分裂症を発病……。
電気ショック療法を受けたていたという。
姉はかわいそうで、津村をひきとる……。
名前さえも理解できなかったという。








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