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21世紀を生きる人たちへ-ナガサキ・五十人の伝言-

2008年10月03日 | 読書日記など
『21世紀を生きる人たちへ-ナガサキ・五十人の伝言-』
   長崎の証言の会・編/長崎の証言の会2003年

図書館の説明文。下「」引用。

「広島、長崎に原爆が投下された1945年から半世紀以上、核兵器の脅威は世紀を超えて今もなお世界の人々をおびやかしつづけている。21世紀を生きる人たちにナガサキの被爆者がぜひ残したいと願う伝言を集める。」



「小異を残して大同につこう」当時29歳、浦上病院(1.8キロ)で患者の治療中に被爆 秋月辰一郎(あきづきたついちろう)。下「」引用。

「しかし、大部分の長崎の人たちは、原爆の惨禍が縁となって、平和と文化国家再建を唱えられる天皇陛下をお迎えできたことを歓喜したのである。これがポイントとなって「怒りの広島」に対して「祈りの長崎」が強調されるようになった。
    (「死の同心円」第七章)」

「怒りの広島」「祈りの長崎」は、それだけでは終らなかったと思います。

目次


--戦争愛国美談とは大きく異なる意見を述べられています。
「戦争は罪悪である 全てを破壊する罪の重さを知らねばならない」榎田八郎

聖コルベ記念館で、修学旅行生に説明する小崎さんも、文章を寄せられています。

「こんなひどことは私だけで結構です」当時16歳、1.2キロで被爆 小幡悦子・著より。下「」引用。

「◆一九五七年(昭32)「被爆者の店」が開設されて就職することができ、働く喜びを感じて嬉しかった。-略-
◆二○○一年(平13) 皮膚がんの手術を受けた。そして二○○二年春、「皮膚がん」で二度目の申請をした。するとあっけなく認定された。
 長い間、脚の障害で苦しんだのに、厚生省は脚の障害では認定をしないで皮膚がんになったら認定してくれたが、機械的な認定尺度で割り切れない気持ちになった。」

「山端庸介氏が撮影した「原子野にたたずむ少女」、右に立つのが瀧智江子さん。」と。
有名な写真に写されている人の証言がある……。

「自分のように 人を愛する--如己愛人--祖父・永井隆、父・誠一(まこと)の遺志を継いで--」(永井隆記念館・現館長)永井徳三郎・著、「平和を守るのは武力ではなく人のやさしさと叡知」当時14歳、1.4キロで被爆 林京子・著、「核実験は何のためにやるのか? 被爆者は私たちだけでたくさん」当時3歳、2.2キロで被爆 松谷英子・著などの文章もありました。

「マンハッタン計画」のことも書かれてありました。下「」引用。

「一九四二年九月、アメリカはドイツ軍に接収されていたベルギーのユニオン・ミリエール社が秘蔵していた二、○○○トンのウラン鉱石を社長から密かに買い取っていました。」

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