『小林多喜二伝』
倉田稔・著/論創社2003年
小林多喜二の『蟹工船』が二十万部も売れたという。
--蟹工船の背景の時代も学んでほしいものである……。
それは人を切り捨てる時代でもあったとボクは思う。
帯に書かれてあります。下「」引用。
「小林多喜二生誕100年没後70年記念出版
小樽・東京・虐殺」
「小林多喜二の作品と、人間的性格、風貌は、それぞれ印象がまったく違う。『蟹工船」や『不在地主』は、大男の労働者が書いたように見える。だが本人は子供のように小さな紳士である。
『人を殺す犬』や『三・一五』のような作品を書いた多喜二は、快活で朗らかで、一緒にいると楽しく、腹の皮がよじれるほど笑わせる人だった。さて……。」
--多喜二は伯父の家に住みこみで働き、高商に通っていたという。
関東大震災のことも書かれてありました。
この本ではありませんが。
--南京事件を否定する体験主義の人たちで、日本人は虐殺なんてことはしないという。
しかし、関東大震災でも朝鮮人を虐殺している……。
そして、社会主義者たちも虐殺していたという。
--多喜二は拓銀に就職。
恋人・瀧子に出会う、瀧子を身請け。
しかし、独特の考え方があったようだ。下「」引用。
「多喜二は言っていた。「俺の妻となるためには、まだまだ勉強しなければならない。小学校も碌(ろく)にでないうちに、ああいう社会で暮らしてきたんだから、無理もないけど、それに甘えてそれっきり勉強から遠ざかったら、人間も屑(くず)だろう。俺のもとでみっちり英語を習い、文学の本も読む。たまには啄木を手本にして歌を作ってみる。とにかく女学校ていどの学問や教養を身につけるよう努力しなければならない。結婚はそれからでも決しておそくはない」。瀧子は多喜二からいつもこう言われていた。」
監獄部屋というのはタコ部屋と同じらしい。下「」引用。
「大勢の日本人・朝鮮人・中国人が、鉱山、採掘、鉄道などのために、タコ部屋あるいは監獄部屋と呼ばれる半強制的作業場で働かされていた。彼らは、奴隷的なあるいは劣悪な労働条件の下で働き、多くの人が労働のさ中に命を落とした。近代北海道の、そして小樽の社会経済は彼らの存在なしにはありえなかったし、彼らを無視して正しい歴史を語ることができないのである。」
『監獄部屋』のワンシーン。下「」引用。
「「馬鹿い。土方を殺すのア犬じゃないんだ。しっかりしろ」
相手は分からないような顔をした。
「犬なんて、手先に過ぎないんだ。犬は手先(いぬ)だよ。……お前がなんぼい犬を打殺したって、又別な犬が来るア、ッて言えば分かるべ。……」そう言って、堅田が声をひそめてた。「親分さ。親分よ!」」
しかし、犬も軽んじることをしては大変なことになるとボクは思う。
--現代はシステムで見ていると思う。いつものことですね。
チャプリンのマネをしたという。下「」引用。
「……多喜二という男は大変ひょうきんな明るい男で、たとえば、小樽運河のほとりを、昭和初年に日本に入ってきたチャーリー・チャップリンの映画のまねをして、チャップリンの例の歩き方を友だちに見せて、それがまた真に迫っていて、彼らをおおいに笑わせた。」
博愛丸事件がおこり、それをもとにして『蟹工船』が書かれた。
--その新聞報道について書かれてあった。
太宰治もマルクスにそまり、逮捕も二度されているという。
--多喜二を売った男として、三船留吉のことが書かれてあった。
共産党とスパイについても書かれてありました。下「」引用。
「小林多喜二はスパイによって捕まったのであるから、戦前共産党のスパイ史を述べて、彼の逮捕を立体的に見ておく必要がある。
共産党は、第一次共産党→第二次共産党→再建共産党→武装共産党→非常時共産党→リンチ共産党という時代がある。」
特高のスパイ政策によって、共産党は壊滅させれたという。
映画もあったそうです。下「」引用。
「多喜二のこの虐殺事件は、映画『小林多喜二』の冒頭にも出て来る。非常に悲しい物語である。」
私は共産主義者ではありませんが、こんな時代が再び来てほしくはありません。
100%、こんな時代は民主主義ではない!
詐欺師は『民主主義は手続き』というのに、何の批判もしないジャーナリストにあきれる!
--いや、ジャーナリストとして失格でしょう……。
蟹工船博愛丸の虐待事件
目次
倉田稔・著/論創社2003年
小林多喜二の『蟹工船』が二十万部も売れたという。
--蟹工船の背景の時代も学んでほしいものである……。
それは人を切り捨てる時代でもあったとボクは思う。
帯に書かれてあります。下「」引用。
「小林多喜二生誕100年没後70年記念出版
小樽・東京・虐殺」
「小林多喜二の作品と、人間的性格、風貌は、それぞれ印象がまったく違う。『蟹工船」や『不在地主』は、大男の労働者が書いたように見える。だが本人は子供のように小さな紳士である。
『人を殺す犬』や『三・一五』のような作品を書いた多喜二は、快活で朗らかで、一緒にいると楽しく、腹の皮がよじれるほど笑わせる人だった。さて……。」
--多喜二は伯父の家に住みこみで働き、高商に通っていたという。
関東大震災のことも書かれてありました。
この本ではありませんが。
--南京事件を否定する体験主義の人たちで、日本人は虐殺なんてことはしないという。
しかし、関東大震災でも朝鮮人を虐殺している……。
そして、社会主義者たちも虐殺していたという。
--多喜二は拓銀に就職。
恋人・瀧子に出会う、瀧子を身請け。
しかし、独特の考え方があったようだ。下「」引用。
「多喜二は言っていた。「俺の妻となるためには、まだまだ勉強しなければならない。小学校も碌(ろく)にでないうちに、ああいう社会で暮らしてきたんだから、無理もないけど、それに甘えてそれっきり勉強から遠ざかったら、人間も屑(くず)だろう。俺のもとでみっちり英語を習い、文学の本も読む。たまには啄木を手本にして歌を作ってみる。とにかく女学校ていどの学問や教養を身につけるよう努力しなければならない。結婚はそれからでも決しておそくはない」。瀧子は多喜二からいつもこう言われていた。」
監獄部屋というのはタコ部屋と同じらしい。下「」引用。
「大勢の日本人・朝鮮人・中国人が、鉱山、採掘、鉄道などのために、タコ部屋あるいは監獄部屋と呼ばれる半強制的作業場で働かされていた。彼らは、奴隷的なあるいは劣悪な労働条件の下で働き、多くの人が労働のさ中に命を落とした。近代北海道の、そして小樽の社会経済は彼らの存在なしにはありえなかったし、彼らを無視して正しい歴史を語ることができないのである。」
『監獄部屋』のワンシーン。下「」引用。
「「馬鹿い。土方を殺すのア犬じゃないんだ。しっかりしろ」
相手は分からないような顔をした。
「犬なんて、手先に過ぎないんだ。犬は手先(いぬ)だよ。……お前がなんぼい犬を打殺したって、又別な犬が来るア、ッて言えば分かるべ。……」そう言って、堅田が声をひそめてた。「親分さ。親分よ!」」
しかし、犬も軽んじることをしては大変なことになるとボクは思う。
--現代はシステムで見ていると思う。いつものことですね。
チャプリンのマネをしたという。下「」引用。
「……多喜二という男は大変ひょうきんな明るい男で、たとえば、小樽運河のほとりを、昭和初年に日本に入ってきたチャーリー・チャップリンの映画のまねをして、チャップリンの例の歩き方を友だちに見せて、それがまた真に迫っていて、彼らをおおいに笑わせた。」
博愛丸事件がおこり、それをもとにして『蟹工船』が書かれた。
--その新聞報道について書かれてあった。
太宰治もマルクスにそまり、逮捕も二度されているという。
--多喜二を売った男として、三船留吉のことが書かれてあった。
共産党とスパイについても書かれてありました。下「」引用。
「小林多喜二はスパイによって捕まったのであるから、戦前共産党のスパイ史を述べて、彼の逮捕を立体的に見ておく必要がある。
共産党は、第一次共産党→第二次共産党→再建共産党→武装共産党→非常時共産党→リンチ共産党という時代がある。」
特高のスパイ政策によって、共産党は壊滅させれたという。
映画もあったそうです。下「」引用。
「多喜二のこの虐殺事件は、映画『小林多喜二』の冒頭にも出て来る。非常に悲しい物語である。」
私は共産主義者ではありませんが、こんな時代が再び来てほしくはありません。
100%、こんな時代は民主主義ではない!
詐欺師は『民主主義は手続き』というのに、何の批判もしないジャーナリストにあきれる!
--いや、ジャーナリストとして失格でしょう……。
蟹工船博愛丸の虐待事件
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