磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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蒼 1987・No.5

2008年11月05日 | 読書日記など
『蒼 1987・No.5』
  中本貴之・編/ローカル通信舎1987年

表紙に書かれてありますね。下「」引用。

「総特集:ビキニ水爆死の灰被災を追う
-被災漁船856隻を追って-
核の海をゆく1・2
爆心地・87浬からの帰還
「死の灰」を被った漁船員たち」



幡多高校生ゼミナール」について。下「」引用。

「また、宿毛高校では、単なる戦争体験の聞きとりにとどまらず、高校生自らの青春・生き方と重ねて考えさせようとする文集『父母の青春時代』の集録が六年間で延一二○○人を超えていた。こうした自主活動と平和学習の取り組みを統合・継承し、全国の高校生平和ゼミナールの活動を参考にして、一九八三年八月、「幡多高校生ゼミナール」(以下「幡多ゼミ」と略す)が発足した。」

「足もとにいたビキニ被災者」 下「」引用。

「-略-幡多の漁村を訪ねて、五○歳代の男性に、昔マグロ船に乗ってマーシャル諸島方面へ行っていかなったか、と尋ねれば、ほとんどの者が「いきよった」と答える。中には、「水爆を見たことがある。それは言葉では言えんほどきれいじゃった」と語る者もいる。多くの漁師達の胸の奥に、あの「ビキニ水爆」が三○年以上もの間、知られることなく眠っていた。現在までの調査だけでも、私たちが直接聞き取ったビキニ関係の死者(放射能との関連が考えられる死者)は一○数名いることが判明している。また、「私も死の灰を浴びた」「私も被ばくした」と自ら証言する人々も現われている。」

実習生も……。下「」引用。

「次に当時「生徒が原子病?」(『高知新聞』一九五四年九月三○日付)と報道された谷脇勲のことを尋ねた。ここで被災船リスト(『ビキニ水爆被災資料集』新聞報道一覧の部)にある、彼が乗っていたとされている『第五大国丸』は誤りであって、『第五大黒丸」が正しいことが判明した。またリストではこの船は「室戸岬水産高校練習船」ということになっているが、正確には第五大黒丸という一般の漁船に学校側が実習を依託していたのだそうだ。今でこそ実習船はあるが当時はなかったのだった。実習生として他に二名がこの船に谷脇君と一緒に乗っていた。「彼はその後どうなったのですか?」との問いに、今井教諭は「入院したまま死亡しています」と答えた。-略-」

「多い盲腸炎患者」 下「」引用。

「室戸岬水産高校でみた日本カツオ・マグロ漁業協同組合連合会(日カツ連)の機関誌『かつおトマグロ』創立一五周年記念号の中に注目すべき記事を発見した。“年間実に百余隻”という見出しで、一九五三年八月~五四年八月までの一年間に一○五隻(全かつお・まぐろ船の約一割)もの船が外国領に緊急入域(非常時の外国領への入港」していた事実が記録されていた。しかも、“非常に多い盲腸炎患者”という小見出しで「緊急入域の半数が傷病によるものではあるが、この中でケガ人を除くと病人の半数が盲腸患者で、入域許可の折衝に当る当局者が余りにも多いのにしばしば首をひねることもある」と記してあった。」

アメリカの博士……。下「」引用。

「……アメリカの態度として今も印象に強いのは、やはり私たちが『第五福竜丸』の船体で測定を繰り返している時、アイゼンバット博士が船内で煙草をさもうまそうにふかしてみせる、彼としては、船体に残留している放射能は大したことはないのだとPRするつもりでそのようなポーズを取ったのだと思いますが、あの光景は、当時のアメリカを象徴しているかのようでした」

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