磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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原爆災害--ヒロシマ・ナガサキ

2008年11月22日 | 読書日記など
『原爆災害--ヒロシマ・ナガサキ』
   広島市・長崎市原爆災害誌編集委員会(編)/岩波書店1985年

広島・長崎の原爆災害」(昭和54年刊)の改題普及版。下「」引用。

「さきに小社は、広島・長崎市の発意・要請により、『広島・長崎の原爆災害)とその英訳版(日米英同時出版)を刊行した。同書は、物理・医学・社会科学各領域にわたる調査・研究の集大成であり、原爆災害の実態と推移の全貌を明らかにした画期的白書として、内外に高く評価された。今日核問題を論ずるさいに、最も信頼のおける典拠として定評を得ている。
本書は、編集委員のひとり飯島周一教授が、前書を分かりやすくまとめ直し、被爆者の証言を新たに加えて書きおろしされた普及版である。被爆40年を迎えて、日本語版、英語版を同時に刊行し、世界の人々に、とくに若い世代の人たちに贈る。」



乳癌と被爆との関係……。下「」引用。

「被爆後約一○年後から広島・長崎でおこなわれた多くの調査の結果、被爆者においては乳癌の発生率、乳癌による死亡率のいずれもが、非被爆者に比べてたかいことが明らかにされている。一九七七年にまとめられた総括的報告書によると、一九五○年から一九七四年までの二五年間、対照をふくめて六万三○○○人の女性ついて観察した成績では、三六○例の乳癌が見出され、一○○ラド以上の被曝線量を受けた人の乳癌発生についての危険率は、対象者の約三・三倍であった。対照群との対比について際立って危険度が増していたのは、被爆時一○~一九歳で少なくとも一○○ラドを被曝した人びとの群であり、また最大の危険度がみとめられたのは、被爆時三○~三九歳で二○○ラドを浴びた女性群においてである。これに対して被爆時の年齢が四○~四九歳であった女性に危険率の増加はみられていない。-略-」

肺癌……。下「」引用。

「被爆者に肺癌が見出され、最初に報告されたのは一九五四年である。症例は広島の五八歳の女性であったが、同じ年長崎においても被爆者にみられた三七例の腫瘍(しゅよう)のなかに、三例の肺癌のあったことが報告されていある。その後死亡統計や腫瘍登録、あるいは病力学的な調査などの結果から、原爆放射線と肺癌との関係が確認されるに至った。-略-」

染色体の異常は1960年に報告されたという。下「」引用。

「放射線による染色体の異常は、放射線の作用によって染色体の一部のものが切断され、その結果生じた断面が互いに誤って結合することによって、染色体に形の異常をひきおこすものである。広島・長崎の被爆者に染色体異常が見出されることがはじめて報告されたのは一九六○年である。それ以後調査がくり返されて、母親の胎内で、あるいは出生後高線量の被曝を受けた人びとの間で血液細胞やリンパ球の染色体異常が増加していることが明らかにされた。染色体異常を示す細胞の数および細胞当たりの染色体異常
の頻度は、広島・長崎とも放射線量に比例してかたくなっているが、すべての放射線量に比例してたかくなっているが、すべての放射線量の領域で、長崎より広島の方に、異常細胞の頻度がたかい。広島の線量反応曲線は直線的であるのに対し、長崎のそれは非直線であると考えられている。-略-」

原爆孤児について。下「」引用。

「広島では一部の教師や仏教者の奔走によって、一九四五年暮れ市郊外の佐伯郡五日市町に「広島戦災児育成所」がひらかれた。また広島県同胞援護財団の「新生学園」、似島(にのしま)の旧陸軍検疫所跡に開設された「広島県戦災教育所似島学園」、カトリック修道会の「光の園摂理の家」などがつぎつぎと原爆孤児の収容に当たり、被爆前から活動していた「広島修道院」、「六方学園」などの児童施設も復興後孤児救済につとめた。長崎では、聖母の騎士会のゼノ神父が多比良の分教場を見舞ったことを端緒に、ポーランド系のカトリック修道会聖母の騎士修道院の「聖母の騎士園」が孤児の養育に当たるようになり、一九四七年二月には小ヶ倉水源地の近くに収容所を移した。古い歴史をもつ「浦上養育院」も被爆時いったん壊滅したが、一九四七年には養育院を再建した。」

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当時は日本独自の研究機関はなかったという。下「」引用。

「ABCCは米国学士院・学術会議の所管する調査・研究組織であり、日本独自の研究機関は戦後も久しく実現をみなかったのである。」

しかし、独自機関があったとしても、ネットワークに組み込まれたら、意味がないような気もする……。

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バチカンに関する報道……。下「」引用。

「翌八月八日の『シカゴ・トリビューン』は、八月七日バチカン発のAP電として、次のような記事をかかげた。
「バチカン市の新聞であるロセルバトーレ・ロマノ紙は、本日の紙面において、「日本に投下された原子爆弾は、今次大戦下の一連の黙示録的事件の悲劇的終末である」と評した。」「エンリコ・プッチ卿のもとにあるバチカン市ニュース公報は、「原子爆弾の開発が公表されたことに法皇庁は重大な関心を寄せているバチカン市ニュース公報は、「原子爆弾の開発が公表されたことに法王庁は重大な関心を寄せているが、それは人類殺戮の新兵器が使用されたこと自体よりは、その兵器が人類の将来に投げかける暗鬱な影のゆえである」と述べている。ロセルバトーレ・ロマノ紙は、原子爆弾の開発を十六世紀におけるレオナルド・ダ・ビンチの潜水艇の開発と比較し、ダ・ビンチが自己の発見を人類の幸福のために破壊したように、原子爆弾が破壊されなかったことは残念であると主張している。同紙によれば、「ダ・ビンチは崇高なる思想により死を征したのであるが、彼のごとき宗教的愛を知らぬ世代には、死によって死を征する道しか許されていない。この信じられないくらいの破壊力を持った兵器は、その恐ろしさを学んだ現世代にとっても、歴史の教訓を忘れてしまうかも知れぬ後世の人びとにも、危険な誘惑であることに変わりない」のである。ロセルバトーレ紙は、さらに次のように論評している。「人類はダ・ビンチのごとき崇高な思想を失い、彼が予測したごとく、激しい感情、憎悪、征服欲の衝動にかりたてられた行動した。今や、もっとも恐るべき武器がその道具となった。相争う敵同士の間には、常に、激しい、恐ろしい、気狂いじみた競争が存在し、それは地上でも、水上でも、空中でも、あらゆるものを巻き込まずにはいないのである。」(『広島市史--原爆資料編』所収の湯浅信之訳による)」

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従軍神父という、殺人犯と共謀する者がいる宗教団体が、何を偉そうに書いているのだ……。
--ネットでは、こんなことを書いている人もいましたね……。









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