磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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遺言「ノー・モア・ヒロシマ」-未来のために残したい記憶-

2009年02月18日 | 読書日記など
『遺言「ノー・モア・ヒロシマ」-未来のために残したい記憶-』
   ヒロシマ青空の会・編/五十嵐勉・監修/
     ヒロシマ青空の会2004年

表紙の裏に書かれてありました。下「」引用。

「『原子爆弾の意味するもの』をして地上の各人民が平和と正義のなかに生きうる方法を、人々に探求させることを怠らさせてはならない」--東京裁判・パル判決文/勧告--」

序文-未来のために」 下「」引用。

「-略-また原爆は自然災害ではなく、人間の意志と行為によって生み出されたものである。私たちと同じ人間が造り出し、一つの戦略の下に実行された人間の行為である。原爆がどのようにしてつくられ、現代の世界にどのような危機的状況を生み出しているか、人間の立場から考察し、その危機を回避する方途を探すことは、地球市民の立場から、つねに求められなければならない。人間どうしの行為として理解を深めていくところに、真に未来につながる根本的な解決の途が見つかるかもしれない。
 私たちは強くそれを願って、この本を出版することにした。一人でも多くの人の目に触れ、心に残ることによって、人類存続の希望の道につながることを心から祈るものである。
  二○○四年八月六日  ヒロシマ青空の会一同」

ボイスレコーダーによる決定的瞬間の記録……。下「」引用。

「大洋戦争時、米軍は人類史上初めの原爆投下の際、ボイス・レコーダーをエノラ・ゲイに積み込み、投下の決定的瞬間を録音していた」


世田谷の経堂の東京農大があるが、あそこは陸軍機甲整備学校だったという。

疎開で広島へ。

有名な写真と当時の状況について……。下「」引用。

「御幸橋の有名な写真がありますよね。セーラー服の女の子が背を向けている写真です。-略-午前中はもう大混乱でそれどころじゃなかった。罹災証明書どころの騒ぎじなかったんです。
 それに、ものすごくて、カメラマンさんもなかなか写せなかったでしょう。みんな逃げていくでしょ、それがすごい状態でしたから。私なんかまともに見れないです。気の毒で。-略-」

--高等検察庁に勤務。当時22歳、女性。
ゾルゲ事件があり、たくさんの関係書類があったという。

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--当時13歳、(インタビュー時71歳)
「私は腕の皮膚をぶら下げたまま逃げたんです。」

「逃げるのがやっとだった原爆投下の日-被爆者の声を未来に-」元広島電鉄電車運転士・著。下「」引用。

「広島の電車の運転をしながら、私はたくさんの被爆者に接してきた。まぶたが赤剥げになった娘さん、板にコロを付けてもらって座ったまま移動することしかできない女性、両手の手首ともなくなった男の人が、胸ポケットから運賃を取り出してくれと言われた時のこと。どれもこれも私は忘れることができない。-略-」

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遺言「ノー・モア・ヒロシマ」第2集

第5集







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