磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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小津安二郎と戦争

2009年06月29日 | 読書日記など
『小津安二郎と戦争』
   田中真澄・著/みすず書房2005年

小津安二郎は日記と手紙で、慰安所のことを書き残しているという……。



帯に書かれてあります。下「」引用。

「戦場とは? 軍隊とは? 小津の「戦争体験」とは何だったのか。新資料を発掘しつつ解き明かされる人間ドキュメント。--「小津安二郎陣中日誌」全文収録。」

「稚児事件のころ」 下「」引用。

「「名古屋新聞」一九二○年七月二十六日。見出しは「山田中学に男色/五名退校十名停学/県当局は絶対斬る事無しと言ふ」とものものしい。-略-小津安二郎が証人である。彼はこのとき停学処分を受けた「外九名」のうちの一人だった。
 いわゆる「稚児事件」。小津の罪状のほどは定かではないが、退学ではなく停学で済んでおり、また彼自身は免罪を確信していたところからも、事件の主役とは考えにくい。」

活動狂だったという……。下「」引用。

「小津安二郎にせよ古川緑並みにせよ、大正時代の活動狂は、多く十代の少年たちであった。-略-」

--「三十三歳の出征」だったという。
老兵とされるようだ……。下「」引用。

「小津安二郎伍長、のち軍曹は、三十過の後備役の“老兵”であったが、二十名ほどの部下をもつ分隊長で、「班長さん」と呼ばれていた。戦地での兵隊の日常生活は、分隊をもってひとつの単位となっている。後半のシナリオ『ビルマ作戦・遙かなり父母の国』(一九四二年、映画化されず)には、小津の出征時の体験が随所に応用されているが、そこではまさに分隊長の軍曹が「班長さん」と呼ばれ、分隊単位で、一種の擬似家族として行動するのである。-略-」

日常性のリアリスト……。下「」引用。

「兵隊小津が撮った写真は、いわば戦争のなかでの日常、日常としての戦争をいまに伝える記録ということができる。日常性のリアリスト、小津安二郎は、戦争に行っても自らのペースを守るのである。-略-」

手紙で慰安所を伝える小津。下「」引用。

「そのひとり、シナリオライター野田高梧への一九三八年四月十一日付の手紙に、おもしろい記述がある。おもしろいといっては語弊があろうから、貴重な、と言いかえよう。発信地は安徽省北部の定遠。部隊は二月以来ここに駐屯している。で、その興味深い、貴重な一節とは--
 こゝに四日程前から慰安所が出来ました。慰安所と-略-」

日記にも書いているという……。

小津ではないが、映画のことも書かれてあった。下「」引用。

「「半島の舞姫」は、朝鮮出身の著名な舞踏家、崔承喜をヒロインとした映画(一九三六年、監督今日出海)の題名で、“慰安隊員”が朝鮮女性であることを示したのである。」

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附録があり、こんな文章があった。下「」引用。
「兵士諸君! 死なない様に、うまく戦争にまけ、戦をごまかして、横暴軍部にガアーント一つくらはしてやろう。
戦死者の妻子が生活難心中し、かたわになつて食うや食はずの親兄弟にたよれるか?
財閥はビタ一文も慰問金を出さぬ。よさそうなことを言ふ近衛はまだ慰問葉書一つ書かない。
米の庭さき相場は半分、買へば一キロ五円五十銭、梅干し一つ三銭、タクアン一本三十銭、これで家族をやしなへと言ふのが軍部の日本清心で革新政治だ!
山東石灰は大倉、鉱山と鉄道は住友、三井、三菱、安田、紡績は三井、製粉、ソーダ、セメントは三菱、満州は鮎川一人、上海の石油、貿易は三井、倉庫と運送は三菱の独佔にきまつた。
見ろ、血も乾かぬ戦場で軍部財閥なれ合ひの巨利と利権を山分けを! これが軍部の国威宣揚!-略-」

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