磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

反骨-鈴木東民の生涯-

2009年09月10日 | 読書日記など
『反骨-鈴木東民の生涯-』
   鎌田慧・著/講談社1989年

日本テレビは今年、戦中のドラマを放送したのだろうか?
--自社のグループにも、このような優れた人物がいたことを、宣伝するのもいいのではないか?
しかし、トップがあれでは、この偉大なジャーナリストは毒かもしれない……。
--地獄では、キリストが悪魔!



カバー/読売大争議抗議集会

「死亡記事で知らされた生存」下「」引用。

鈴木東民が八十四歳の生涯を終えたのは、-略-
 たまたま、夕刊の死亡記事を眼にして、わたしは愕然とした。死亡したことに、ではない。その日まで生きていて、それも都内に住んでいたことをはじめて知らされたからである。-略-」

生きながら抹殺された。下「」引用。

「少し大げさにいえば、鈴木東民は生きながら抹殺されていたともいえる。激越にしていささか狷介(けんかい)だった彼は、孤高の中で息をひきとったようだ。その日の『朝日新聞』(夕刊)の死亡記事において、鈴木東民の生涯はつぎのように書かれている。
「鈴木東民(すずき・とうみん=元釜石市長)十四日午前一時四分、脳いっ血のため、東京都新宿区中落合の聖母病院で死去、八十四歳。告別式は、ウィーン在住の長女マリオンさんの帰国を待って、来年三月に出身地の岩手県釜石市唐丹町字川目の盛岩寺で。喪主は妻ゲルトールさん。自宅は新宿区新小川町二ノ一○。
 大正十二年大阪新聞に入り、日本電報通信社特派員を経て、読売新聞外報部長、論説委員、編集局長を歴任。この間、日本軍閥の侵略戦争に反対するとともに反ナチの論陣をはり、戦後、新聞界をにぎわした読売争議を闘争委員長として指導した。その後、自由懇話会理事長や民主主義擁護同盟常任委員をつとめ、三十年五月、釜石市長に当選、四十二年までに三期在職した。著書に『ナチスの国を見る』ほか」

公害を批判しつづけた。下「」引用。

「東民が市長に就任したのは、一九五五年五月である。彼はそれ以来「降下煤塵(ばいじん)世界一」といわれた釜鉄(当時は富士製鉄釜石製鉄所)の公害を批判しつづけた。日本での反公害闘争が活発になるのは、それから十五年ほどたった七○年代にはいってからである。-略-」

やはり、すぐれた人物は時流だけではないようだ。
--民主主義の人たちは、やはり公害とも戦う……。
日本では珍しく、逆に証明される……。「公害と原発のあるところに、民主主義はない」

しかし、ファシスト(反民主主義者)たちは、エセの民主主義を伝えているのだろうか?

index

中野清見(前一戸町長)の文を読んでの著者。下「」引用。

「東民の爪のアカをまっ先に煎じて呑むべき男の駄文とはいえ、死後十年たってなお罵詈雑言に飾られる。それはそのまま死者の個性の強さを表していよう。-略-」

NHKのディレクターの不勉強。下「」引用。

「八九年一月中旬、NHKは、その二ヵ月後の高炉廃棄にちなんで、釜石のレポートを放映した。「鉄の町にサケ帰る--釜石橋上市場物語」。タイトルをみて、わたしは東民のことが語られるにちがいない、と予測した。というのも、かつてサケ川とよばれた甲子(かつし)川のサケが帰ってきたのを、もっとも喜んでいたのは製鉄所の公害を規制した東民だった。-略-中心テーマの橋上市場は、露天商を救済するため橋を架けてマーケットにしたもので、イタリアのフィレンツェに倣った東民のアイデアで、日本にひとつしかないものである。「東民がつくった」というのはどんな政敵も否定できない市民の常識である。-略-」

ところが、東民のことは伝えられなかった。

ナチスは差別主義者……。下「」引用。

「『なあんだ! ヤップか』と一人がほざいた。それにつれてクスクスと笑う声が聞こえた。この国ではヒトラアが政権を握って以来『ユダヤ人、黒人及びその他の有色人種』は劣等なる種族として侮辱をうけなければならない。この頃のドイツで『ヤップ』の冷語を浴びせられることは、めずらしいことではないが、決して気もちのよいものではない」(「議事堂放火事件の公判を聴く」)」

ロマン・ロランに手紙がとどく。下「」引用。

「この裁判で、ディミトロフは獅子奮迅の活躍をした。彼は手錠をはめられ、眼鏡をはめられ、眼鏡を取りあげられている悪条件のもとで、獄中から数多くの手紙を書いた。それらのほとんどが却下されたが、その一通が『ジャン・クリストフ』の著者であるロマン・ロランの手許にとどいた。それが各国の新聞に掲載され、国際世論をまき起こすことになる。」

ナチスの殉教者。下「」引用。

「東民によれば、ホルスト・ウェッセルは、ヒトラーの寵愛を一身に集めていた不良学生だった。彼はアレキサンダー・プラッツにある売春宿で、女性の奪いあいから殺された。相手が共産主義者だった、というので、ナチスの運動の殉教者に仕立てられた。その不良学生を讚える歌に、東民は夜通し悩まされていたのである。」

Index

陸軍の罠。下「」引用。

「高橋もまた、陸軍報道部長・谷荻(たにおぎ)那華雄の陽動作戦に一杯食わされたのだった。陸軍は調子に乗って書いたものをひっくくる方針だった。」

同窓生は警視総監。下「」引用。

「戦争がはじまる前から、東民は警視庁の「要視察人」だった。そのころ、警視総監だった萱場軍蔵は中学時代の同窓生だった。彼から「言動を慎むように」とひそかに連絡があった。戦争がはじまると、憲兵隊の木内という軍曹が監視役についた。新聞社に詰めていて、自宅にもやってきた。職務に忠実な男で、敗戦の日に割腹自殺を遂げたほどだった。」








もくじ

index



エンタメ@BlogRanking


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。