磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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原発に「ふるさと」を奪われて-福島県飯舘村・酪農家の叫び-

2012年05月08日 | 読書日記など
『原発に「ふるさと」を奪われて-福島県飯舘村・酪農家の叫び-』
   長谷川健一・著/宝島社2012年

「原子力ムラ」に牛耳られている飯舘村。
それなら納得できるというものです……。
--失礼な表現ですが、読物としてもいいできだと思います。



帯に書かれてあります。下「」引用。

「涙なくしては読めない
平成の棄民物語!
子どもや孫を被曝させた苦しみ、
家族同然の牛との別れ、酪農仲間の自死。
除染したって村にはもう戻れない--。
放射能自己の被害者にしか語れない、
3・11後の壮絶な葛藤、人間ドラマ!」
「政府の無策、御用学者のウソ、
経産官僚の暗躍、
村長自らの隠蔽……。
飯舘村村民“大量被曝”は、
こうして起こった。
当事者にしか語れない“最悪の悲劇”の舞台裏。
新しい「希望」を見出すための渾身の手記!」

「何も知らないまま「被爆者」にされて」

地割れ……。下「」引用。

「でかい地震だ、ということすぐ分かりました。そのうえ、揺れている時間もすごく長い。まるで海が波打つように、畑が波打つ感じなのです。揺れ続けるうち、今度は畑に地割れがババババーッと起き始めました。一瞬のうちに五○メートルくらいの亀裂がビビーッと走るんです。それが一本じゃなく、何本も走る。地割れが走る瞬間を見ることなんて、もちろん初めてのことでした。-略-」

マスコミは森住のみ。下「」引用。

「私がマスコミを通じて一番訴えたかったのは、まさにこの点でした。インタビューでも、この話を一番強調したんです。でも、テレビはこの話の部分をすべてカットして放送するんですね。結局、私の「なぜ、飯舘村を“たんこぶ”のように囲まないのか」という声を取り上げてくれたマスコミは、なぜかひとつもありませんでした。
 ただ、フリージャーナリストで写真家の森住卓さんだけは違いました。
 森住さんが初めてウチを訪ねてきたのは、三月二七日のことです。森住さんは三月一五日にも飯舘村を訪れていて、前田地区の集会所のあたりでその日の午後五時半頃、持っていた一○○マイクロシーベルトまで測れる線量計の針が振り切れていたことを教えてくれたのでした。そして私は、まさにその直後に集会所に人を集め、の緊急集会を開いてしまったことを知ったのです。愕然としました。-略-」

今中哲二(京大助教)の放射線測定。
【隠ぺい】乞う村長。下「」引用。

「今中先生はまるで異次元に飛び込んできたような感じがして、本当にびつくりしたのだそうです。
 そして、今中先生が菅野村長に、放射線量の計測結果を伝えたところ、村長は「この結果を公表しないでほしい」と、今中先生に頼んだというんですね。
 今中先生は、「こんな線量の高いところに人が住んでいるなんておかしい」と言い、村長は「こういう放射線量を浴びながら生活できる術はないのか」と、涙を流しながら訊ねる。今中先生が「いや、そんなことは無理だ」と答えると、村長が「とにかくこのデータは公表しないでほしい」といった問答が、しばらく続いたといいます。こうしたやり取りがあったということは、同席していた日本大学生物資源科学部の糸長浩司教授から後に聞きました。
 この対応といい、三月一四日に村役場で測定された「毎時四○マイクロシーベルト」を隠そうとしたことといい、まるで菅野村長は、本当のことを村民に伝えないようにしているとしか思えません。実際、村長は広報などを通じてこの計測結果を知らせることはありませんでした。
 しかし、汚染の事実を隠し通すことなど、できるものではありません。おまけら、今中先生たちが村内を測定して回ったことは、すでに日本テレビのニュースでも報じられていました。測った数値を公表しなければ、今度は今中先生たちが責められるわけです。
 今中先生たちは村長に「一日だけ、公表するのを待つ」と言ったのだそうです。そして、その翌日、菅野村長から糸長教授のところに電話がかかってきた。やはり「公表するのだけはやめてくれ」と言ったそうです。
 計測結果は四月四日、インターネットを通じて公表されたといいます。ただ、飯舘村民でインターネットをこまめにチェックしている人など、そうそうおりません。だから、せっかくの計測結果が肝心の飯舘村村民にすぐさま伝わることはありませんでした。
 現に私自身、今中先生たちの計測結果のことを知ったのは、公表されてから数日後のことです。ウチの隣に住んでいて、今、被曝した子どもちの健康問題で走り回っている村の若手の中心人物、佐藤健太君から教えてもらいました。」

毎時1ミリシーベルトあったという。下「」引用。

「これはとんでもないことになっていると思ってあたりを見渡すと、子どもたちが外で遊んでいるんです。家々にはたくさんの洗濯物が干してある。大人たちもまた、外で普通に野良仕事をしていました。私は矢も盾もたまらず、村役場にある対策本部にクルマを飛ばしてすっ飛んで行ったんです。」

「大丈夫」保安院がいうから、大丈夫。下「」引用。

「議長たちはこう答えました。
「長谷川さん、原子力安全・保安院まで飯舘にやってきて『大丈夫だ』と言われてんだど。俺らこれ以上、何できるって。米を作って、米から放射能出てダメな時は、賠償求めっぺ」
 偉い役人や先生が次々と飯舘村にやってきて「安心」を振りまいたものだから、私の話になど聞く耳を持たないんです。すっかり洗脳されてしまっている。そんな彼らとこれ以上、いくら話をしたところでダメだろうと思って、諦めました。」

「大丈夫」と次々に送られてくる御用学者。下「」引用。

「そんな最中でも、放射線の専門家だけは、飯舘村に続々と送り込まれてくるんですね。四月六日には、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの高村昇氏がまたやってきて、今度は高い放射線量が測定されていた長沼地区や蕨平地区などの住民を相手に講演会をしています。地区が違うので私は行きませんでしたが、参加した酪農仲間からは、以前とまったく同じ「大丈夫」を連発していたと聞きました。」

甘い! 下「」引用。

「「村の認識は甘いんでねえが? 一体何やってんだ」
 と。この日の時点で、村に滞在し続けていた人たちの積算被曝線量は、大人であっても子どもであっても六ミリシーベルトを超えていました。国の基準では、原発事故で住民の被曝放射線量の積算が一○ミリシーベルトを超える地域は「屋内退避」になります。-略-」

山下俊一=「専門家」には見えない。下「」引用。

「ところで、長崎大の山下氏をはじめとした「放射線の専門家」たちは、一体、何のために飯舘村までやってきたのでしょうか? それほど飯舘村が安全だというのなら、なぜ自らの学者生命を賭けてでも政府の「計画的避難区域」指定に反対しなかったのでしょうか?
 難しいことはよく分かりませんが、彼らはまるでピエロのようです。あまりにもいい加減すぎて、とても「専門家」には見えません。
 ともあれ、彼らは私たち福島県民のためにここまでやってきたわけではない--ということだけは確かだと思います。実際、彼らが来たことも、私たちに話した内容も、私たち原発事故の被災者にとっては何の役にも立っていないのですから。きっと私たちのことなど、実験動物のモルモットくらいにしか思っていないのでしょう。私は、決して山下俊一たちのモルモットにはなるまいと決意しました。」

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自殺と民主党代議士。下「」引用。

「翌日の一三日、改めて彼の家に行き、集まってきていた酪農仲間たちと通夜の準備の話をしていると、そこに国会議員が来ました。福島県選出の民主党代議士です。その代議士に対し、自殺した彼のお姉さんは泣きながら、それこそ半狂乱になって政府の無策を責めたのです。
「お前たちが弟を殺したようなものだ」
 と。でも、代議士は一言もしゃべらないのです。お詫びの言葉もありませんでした。
 さすがに私も頭にきて、一言、彼に言ったんです。
「こういう事態の時にこんなことしてっと、これからの民主党はどんどん落ちっど(落選するぞ)」
 それでも代議士は、ただ黙って立っているだけでした。その場にいたみんなからは「何しに来たんだ?」と言われていました。」

建設し、推進している自民党ですね。脱原発なんて、ほとんどききませんね……。

「除染実験」も、いきなり上から……。【原発ムラ】の儲け……。下「」引用。

「今、さまざまな形で試みられている飯舘村内での「除染」作業や実験に、東京電力は一切関わっていないのです。
 その一例に、飯舘村の草野地区で計画されている「除染実験」があります。山や川、田んぼや畑、そして人家もある地域を選んでそこを四○○メートル四方で囲むようにして区切り、その中を重点的に除染しようというものなのですが、その四○○メートル四方の中に入っている地権者の三、四人が、実験を行なうことにいまだ承諾していないのです(二○一一年一一月現在)。
 それはなぜかというと、地権者の彼らに対して事前の相談や説明が一切なかったからなのですね。実験の枠組みを決め、国から予算を獲得し、最後に住民への説明をしていました。村民には何の相談もなしに、いきなり上から「こういうことになったから」と、すでに結論が出ているかのような形で話が降ってくるわけです。
 こうしたやり方は、除染作業で出た汚染土の「仮置き場」を村内に作る時でもあったんです。誰にも相談のないまま、村が勝手にの決めるのです。原発事故が起こるまでは、そんな一方的な話の進めか方など一切ありませんでした。「非常事態」の名の下、行政の傍若無人な振る舞いがまかり通っているのです。当の村民が何も知らないところで、村全体が見ず知らずの誰かの“実験場”にされていくような気さえしてくるのです。-略-恐らく、飯舘村での「除染実験」にも、こうした原子力産業が関わることになるのでしょう。彼らには、なんでもビジネスチャンスに見えるようです。」

「除染実験」6億円。

「策士、策に溺れ、村、原子力ムラに牛耳られる」
--菅野村長は『報道ステーション』でヒーロー気取り。500人の雇用を守ったという。苦情電話がなりっぱなしだったという。

その後、閉鎖された工場など……。下「」引用。

「村長が誇らしげに「自分が守った」と語っていた「村内企業の操業継続」は、社長たちにこうした苦難や犠牲を強いる結果になっていたのでした。この会社にしても、いつまで操業を続けられるのか、甚だ疑問です。そして、こうした現実を、菅野村長が知らないはずはありません。」

発狂『美しい村に放射能が降った』村長の本。下「」引用。

「放射線リスクだけで、村民の仕事や家庭を壊すわけにはいかない。(一五三ページ)」

甘いといわれても仕方がないですね。

健康管理は「自己責任」……。
国や行政の責任は回避していくくせに……。

詐欺師でもいえる「放射能を怖がれ」。こんなタイトルの本も御用学者でさえ出していますね。村長も言い出したそうです。意味わかってなくても、いえるらしい。除染ビジネスのために怖がれ……。

御用学者を信ずるアホ村長。アホでももちろん罪だ。司馬遼太郎がいうように……。下「」引用。

「村で九月二八日にまとめた「飯舘村除染計画書」の中に、「いいたて復興計画村民会議」の委員名簿が載っています(次ページの表)。見ると「アドバイザー」の肩書で、東京大学附属病院放射線科准教授の中川恵一氏の名前と、放射線安全フォーラム代表で元・日本原子力学会会長の田中俊一氏の名前が載っているではありませんか。これを見つけた時、村長がなぜ村民の意向を無視して暴走を続けるのか、その理由がわかったような気がしました。」

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「御用学者」に支配される飯舘村。下「」引用。

「-略-村長は、なぜ私たち村民の声を聞こうともせずに、こうした御用学者の話にばかり耳を傾け続けるのでしょうか。
 驚くべきことに、すでに飯舘村は原子力ムラの御用学者たちに牛耳られているのです。原子力施設など、
村には一つもないにもかかわらず。」










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