『渡邉恒雄メディアと権力』
魚住昭・著/講談社2000年
これを会社名などを消して、表現していたら、暴力団と間違える人もいるかもしれない。
--日本は大手マスコミと政治家がこれほど癒着しているのかとあきれるばかりです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/a8/ab4b1ee5c8951590198ccedf5ea488ae.jpg)
政界再編。野中と小沢を結びつけた渡邊。
野中の恭順。下「」引用。
「野中が「マスコミは行革をほ叫ぶ一方で自分のところ(の再版制度)だけは守っている」などと新聞を批判して以来、日本新聞協会の再販対策特別委員長をつとめる渡邊との関係は悪化していた。-略-」
和解を中曽根が計ったという。
マスコミ再編も狙う。下「」引用。
「世界一の発行部数を背景に政界を動かす異色の新聞人・渡邊恒雄。彼がもくろんだのは政界再編だけではない。-略-その最大の標的になったのは共同通信社(本社・東京)である。」
高史明(コサミヨン)と渡邊、昭和27年春出会う。下「」引用。
「高は当時二十歳、日本共産党の地下組織の一員だった。東京・小平市の自宅で高が半世紀前の出来事を回想する。
「あれはメーデー事件が起きるちょうど一月前でした。仲間と一緒に奥多摩の山の木こり小屋に潜んでいたとき、読売の駆け出し記者だった渡邊さんと出くわしたんです。-略-」
そのころの、日本共産党。下「」引用。
「共産党が五一年テーゼで軍事方針を明確に打ち出して以来、血なまぐさい事件がつづいていた。昭和二十六年十二月には、東京・練馬区で駐在所巡査が殺され、ピストルを奪われた。」
高史明、16歳の時、傷害事件で拘置所へ。
房のボスは食事をかすめとるので、首を絞めたという。
そのとき、同じ房にいた広島生まれの少年が叫んだ。「やめろ! 死んでしまうぞ!」
その少年は原爆孤児だったという。
何年か後、奥多摩でも、その少年の叫びを聞いたという。
そこに渡邊が「潜入ルポ」。
ウィークリーの記者だった渡邊は、スクープとした。しかし……。下「」引用。
「社会部のデスク連中が『渡邊恒雄といれるな。社会部にも渡辺がいるから本社渡辺記者としておきゃ社会部で書いたことになるじゃないか』と言ったんだ。要するにウイークリーの記者が書いたのを社会面に
載っけるのは恥ということなんだよ」(渡邊)
後に読売新聞を揺るがす彼と社会部との軋轢の始まりである。-略-」
中曽根が科学技術庁長官になれたのは、渡邊の口利きだったという。
index
渡邊は産経の福本邦雄(政界のフィクサー)と読書会を開いてたという。
児玉と鳩山。下「」引用。
「児玉は右翼や暴力団を自在に操る「政界の黒幕」として恐れられていた。戦時中、上海の「児玉機関」(海軍の軍需物資調達機関)で集めた巨額の財宝を鳩山一郎の自由党創設資金に提供して以来、河野ら鳩山直系の党人脈に強い影響力を持ち、政財界にあらゆるスキャンダルに顔を出した。-略-」
KCIA(韓国中央情報局部)元幹部、崔英沢(チエヨンテク)。下「」引用。
「渡邊さんと初めて会ったのは、私が東京で韓日会談の裏工作を進めていた一九六二年(昭和三十七年)のことだった。それ以来、渡邊さんにずいぶん協力してもらった。渡邊さんは児玉さんと相当親しいらしく、児玉さんがこうしよう、ああしようという『わかりました』と素直に従うような仲だった」
渡邊の友人で新人代議士・中川一郎。
旧国有地……、サンケイと読売。下「」引用。
「政府が大手町の産経新聞の隣にある大蔵省関東財務局・国有財産局を移転させ、その跡地を民間に払い下げることがわかったのは昭和三十六年だった。広さ千八百五十坪。日比谷通りに面した一等地とあって百社以上から申し込みが殺到した。最初に申請したのは産経。読売は四十九番目だった。
三十八年一月、大蔵省は省議で読売に払い下げる方針を決めた。産経の社屋自体がすでに旧国有地に建っているのに比べ、読売はまだ一度も払い下げの恩恵に浴していない点が考慮されたのである。-略-」
index
務台とデマをつくれる読売。下「」引用。
「氏家をたたくための嘘、デタラメはすごかったですよ。務台さんは昔からたたくのに業界紙とか雑誌を使う人でね。務台さんの腹心がトップ屋たちを呼んでは飯を食わせ、氏家の悪口を言っちゃカネを渡していたらしい。実際にカネをもらったという人が来て、そう言ってました。デマをつくろうと思えば、さすが読売で、総力を挙げればいくらでもつくれるんだから」
平和は左翼と、黒田軍団を崩壊させた渡邊一派。
index
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魚住昭・著/講談社2000年
これを会社名などを消して、表現していたら、暴力団と間違える人もいるかもしれない。
--日本は大手マスコミと政治家がこれほど癒着しているのかとあきれるばかりです。
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政界再編。野中と小沢を結びつけた渡邊。
野中の恭順。下「」引用。
「野中が「マスコミは行革をほ叫ぶ一方で自分のところ(の再版制度)だけは守っている」などと新聞を批判して以来、日本新聞協会の再販対策特別委員長をつとめる渡邊との関係は悪化していた。-略-」
和解を中曽根が計ったという。
マスコミ再編も狙う。下「」引用。
「世界一の発行部数を背景に政界を動かす異色の新聞人・渡邊恒雄。彼がもくろんだのは政界再編だけではない。-略-その最大の標的になったのは共同通信社(本社・東京)である。」
高史明(コサミヨン)と渡邊、昭和27年春出会う。下「」引用。
「高は当時二十歳、日本共産党の地下組織の一員だった。東京・小平市の自宅で高が半世紀前の出来事を回想する。
「あれはメーデー事件が起きるちょうど一月前でした。仲間と一緒に奥多摩の山の木こり小屋に潜んでいたとき、読売の駆け出し記者だった渡邊さんと出くわしたんです。-略-」
そのころの、日本共産党。下「」引用。
「共産党が五一年テーゼで軍事方針を明確に打ち出して以来、血なまぐさい事件がつづいていた。昭和二十六年十二月には、東京・練馬区で駐在所巡査が殺され、ピストルを奪われた。」
高史明、16歳の時、傷害事件で拘置所へ。
房のボスは食事をかすめとるので、首を絞めたという。
そのとき、同じ房にいた広島生まれの少年が叫んだ。「やめろ! 死んでしまうぞ!」
その少年は原爆孤児だったという。
何年か後、奥多摩でも、その少年の叫びを聞いたという。
そこに渡邊が「潜入ルポ」。
ウィークリーの記者だった渡邊は、スクープとした。しかし……。下「」引用。
「社会部のデスク連中が『渡邊恒雄といれるな。社会部にも渡辺がいるから本社渡辺記者としておきゃ社会部で書いたことになるじゃないか』と言ったんだ。要するにウイークリーの記者が書いたのを社会面に
載っけるのは恥ということなんだよ」(渡邊)
後に読売新聞を揺るがす彼と社会部との軋轢の始まりである。-略-」
中曽根が科学技術庁長官になれたのは、渡邊の口利きだったという。
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渡邊は産経の福本邦雄(政界のフィクサー)と読書会を開いてたという。
児玉と鳩山。下「」引用。
「児玉は右翼や暴力団を自在に操る「政界の黒幕」として恐れられていた。戦時中、上海の「児玉機関」(海軍の軍需物資調達機関)で集めた巨額の財宝を鳩山一郎の自由党創設資金に提供して以来、河野ら鳩山直系の党人脈に強い影響力を持ち、政財界にあらゆるスキャンダルに顔を出した。-略-」
KCIA(韓国中央情報局部)元幹部、崔英沢(チエヨンテク)。下「」引用。
「渡邊さんと初めて会ったのは、私が東京で韓日会談の裏工作を進めていた一九六二年(昭和三十七年)のことだった。それ以来、渡邊さんにずいぶん協力してもらった。渡邊さんは児玉さんと相当親しいらしく、児玉さんがこうしよう、ああしようという『わかりました』と素直に従うような仲だった」
渡邊の友人で新人代議士・中川一郎。
旧国有地……、サンケイと読売。下「」引用。
「政府が大手町の産経新聞の隣にある大蔵省関東財務局・国有財産局を移転させ、その跡地を民間に払い下げることがわかったのは昭和三十六年だった。広さ千八百五十坪。日比谷通りに面した一等地とあって百社以上から申し込みが殺到した。最初に申請したのは産経。読売は四十九番目だった。
三十八年一月、大蔵省は省議で読売に払い下げる方針を決めた。産経の社屋自体がすでに旧国有地に建っているのに比べ、読売はまだ一度も払い下げの恩恵に浴していない点が考慮されたのである。-略-」
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務台とデマをつくれる読売。下「」引用。
「氏家をたたくための嘘、デタラメはすごかったですよ。務台さんは昔からたたくのに業界紙とか雑誌を使う人でね。務台さんの腹心がトップ屋たちを呼んでは飯を食わせ、氏家の悪口を言っちゃカネを渡していたらしい。実際にカネをもらったという人が来て、そう言ってました。デマをつくろうと思えば、さすが読売で、総力を挙げればいくらでもつくれるんだから」
平和は左翼と、黒田軍団を崩壊させた渡邊一派。
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