磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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新潮選書 科学者とは何か

2008年01月22日 | 読書日記など
『新潮選書 科学者とは何か』
   村上陽一郎・著/新潮社1994年

ニュートンは科学者ではなかったという……。では、なぜそんな論理を展開されているのだろうか? 科学者とは何か?



原爆開発のことも書かれてありました。

ニュートンの時代には「科学者《scientist》」という言葉はなかったという。
ニュートンは科学者ではなく、哲学者であった……。下「」引用。

「キリスト教的背景を強く持ったものであった。つまりニュートンの「愛する知」というのは、キリスト教的な神学に裏打ちされた「知」であった。」

科学者という言葉は、顰蹙をふくんで使われた言葉だという。

科学は、一九世紀無政府主義であったという。下「」引用。
「しかし、西欧における近代主義は、のちに見るような様々な理由から、そうした組織や制度を否定した。その結果、一九世紀の西欧には、技術における一種の無政府主義が出現した。その一つの表われは、いわゆるアントレプレヌールの登場である。いかなる組織にも帰属することなく、自らの自由な働きと才覚とによって、自由な競争のなかでのし上がっていく彼ら、例えばその典型をわれわれはエディソン(一八四七-一九三一)に見るが、そうしたアントレプレヌールたちにとって、その行動規範は「自由な競争」、言い換えれば「レッセ・フェール」であり、つまりは、行動を抑制する規範はない、ということであった。」

原爆が製造される前には、国際的でもあった……。
だから、日本でも原爆を開発していた……。


原発の放射線の許容量においても、物理学と医学では大きく違う。
--そもそもが違う規範をもつ組織。医師集団の場合は……。下「」引用。

「-略-古代ギリシャのピュタゴラス教団は、むしろ宗教的な結社であったと考えられているが、ここでも知識と技術との秘匿には極めて厳しい制限が付されており、-略-」

今もそうだが、使われることは抜きにして開発し、使用した人に責任があるという科学者はいる。


朝永振一郎(物理学者、ノーベル受賞者)はこんなことを書いておられる……。下「」引用。

「ぼくの平和論は、科学者としてはおかしなものだ。原爆が落とされた。そこで初めて気が付いた。-略-」(『朝永振一郎博士 人とことば』加藤八千代著、共立出版)」

公害問題などでも、科学者は大きな役割を悪い意味でも果たしていると思う。

著者はこんな提案をしている。下「」引用。

「レイチェル・カーソンや、レオ・シラードのような人物が表彰される制度があり、あるいは国境なき石団」のようなグループの仕事が正当に評価されて褒賞される制度があった方がよいと私は思うのだが。」

そして、ボクは反対の科学者たちを取り締まってほしいと思う。科学というよりも、政治家と組んで科学をおろそかにしている学者たちを何とかしないといけないと思う……。

たとえば、重松逸男のような科学者である……。

一部内容[重松逸造]








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