磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

従軍慰安婦・内鮮結婚-性の侵略・戦後責任を考える-

2009年05月01日 | 読書日記など
『従軍慰安婦・内鮮結婚-性の侵略・戦後責任を考える-』
   鈴木裕子・著/未来社1992年

やはり、このようなことをする思想史というのも大切ではないかと思います。
--現代でも、同根のものが生きていると思います。それは、多くの人を不幸にしているとボクは思います……。



福沢諭吉の影響がやはりあるようだ……。下「」引用。

「露骨な領土拡張主義・膨張主義であることは一読して明らかであろう。この膨張主義とまさに見合った形で「人民の移住と娼婦の出稼」は書かれる。
 冒頭、福沢はこう述べる。
 -略-人間社会には娼婦の欠く可らざるは衛生上に酒、煙草の有害を唱へながら之を廃することは能わざると同様にして、経世の目を以てすれば寧ろ其必要を認めざるを得ず。」

ボクは酒もタバコもやられない……。
--冷やしアメは飲むが……。

フェミニストの福沢諭吉?……。下「」引用。

「その「フェミニスト」福沢が、娼婦は不潔にして有害だが、「経世」上からみれば有益な存在だというのである。ここでは女の性に対する人権への視点はまったくなかったといっていい。それはともかく、福沢の筆鋒は、転じて、廃娼論への攻撃に向けられる。-略-相手の井の中のカエルと揚言してあと、いよいよ福沢は本題に入る。すなわち彼は、娼婦の海外「出稼」ぎの必要性をこう説くのである。-略-」

index

台湾でも……。下「」引用。

「日本支配層は、植民地統治の一環として、台湾に公娼制を導入した。一八九六年の『門司新報』の伝えるところによれば、当時の比志島義輝少将は次のように語った、という。
 -略-台湾の進歩必要のことならん。-略-衛生上よりするも緊要のことなるべし。(山田盟子『慰安婦たちの太平洋戦争』より重引。光人社、一九九一年、二一ページ)
 婦女の「輸入」といった言葉づかいといい、その発想といい、さきの福沢の論との酷似ぶりに驚く。」

日本人ピーという呼び名もあったようだ。

--『泣き虫軍医物語』
この本で、慰安所を建てたので、新米軍医が信頼を得たという……。

内鮮結婚……。下「」引用。

「内鮮結婚をした日本の女たちの多くは、それが「内鮮一体」のための欺瞞的なま「国策結婚」であるとを見抜けなかった。朝鮮人の夫を日本に同化し、その民族性を剥奪する具に自らの性を供されたことを認識できなかった。同じ日本の女として無念というほかない。-略-」

特高月報』というのがあったという。下「」引用。

「六○歳をこえる戦中派の坂本官房長官が、『特高月報』の存在をはじめて知った、というのは驚きだが、警察庁の浅野官房長官が、『特高月報』についてほとんど知らない様子なのには驚きをこえて、いささか滑稽の感がする。
 『特高月報』についてあらためていうと、戦前治安行政の総元締め官庁であった内務省警保局保安課が発行し、共産主義運動はもとよりあらゆる社会運動団体の動向に目を光らし(その中にはもちろん在留朝鮮人団体も入っている)、記録にとどめたもので、当時は「厳秘」扱いであった。しかし、今日では復刻版が出され(政経出版社、一九七二~七三年刊)、国会図書館などで簡単にみられる代物である。それをさも入手しがたい資料であるかのごとく思い、発言しているのは、旧内務官僚の衣鉢を継ぐ警察官僚としては、不勉強のそしりを免れまい。-略-」

元軍医麻生徹男氏。下「」引用。

「『意見書』の中には、すでに触れたように元軍医麻生徹男氏の「花柳病ノ積極的予防法」も収められている。
 ここで麻生氏の経歴について簡単に触れておこう。麻生氏は一九一○年、福岡の産婦人科医の息とし生まれ、三五年九大医学部を卒業、同大医学部の産婦人科副手、附属医院医員になった。三七年一二月応召され、第一一軍(中国派遣軍)第一四兵站病院軍医少尉になり、四一年四月召集解除。翌四二年一月再び応召され、南海派遣軍高射砲第三四中隊附属軍医中尉となり、敗戦後の四六年復員。それから八○年まで福岡市水茶屋町で産婦人科医院を開き、八九年七月死去。ちなみにクリスチャンであったという(『福岡市医報』No358〔一九八九年〕。
 麻生氏は、最初の応召中の三八年一月、上海の軍特務部より呼び出しを受け、近々開設される「陸軍慰安所」にかり集められてきた慰安婦たちの検診をおこなうよう命じられた。のち、彼はこのことについてこう書いている。「これが『日支事変』以後『大東亜戦』を通じて、兵站司令部の仕事として慰安所管理の嚆矢となった」(麻生「元軍医の証言」、金一勉編著『軍隊慰安婦』、現代史出版会、一九七七年、所収、五九ページ)。
 彼がさきの「花柳病ノ積極的予防法」を書き、軍の上層部に意見具申をおこなったのは、すでに触れたように、三九年六月であったが、次にその中の「二、娼婦」から抜すいする。-略-
 一読して、女性の人権への関心はうすく、今日では明らかに性差別に満ちた文章と知れるが、これは麻生氏のみならず、当時の男性一般の性意識でもあった、といえよう。-略-」

「上坂冬子・曽野綾子両氏の所論批判」というタイトルあり。
歴史の偽造……。下「」引用。

「右のような上坂氏の「妄言」をあげていったらきりがない。いわく、「外国人に対する補償はあくまでも外交ルートを通じておこなうのが当然のルールだが、残念ながら戦後の一時期、韓国には猛烈な反日政策が敷かれて政府間で話しあいのできる状況ではなかったのである」-略-
 上坂氏の発言のうらには、明らかに歴史の偽造への作為が働いている。が、歴史認識の甘いわたくしたち日本人はだませても、被害の苦汁をなめさせられた他国・他民族の人々をだますことはできない。かえってその無恥ぶりを世界にさらけ出すことになろう。」

曽野綾子の歴史かくし。下「」引用。

「曽野綾子氏は、さすがに上坂氏のように露骨な無恥ぶりを示しはしない。が、その「歴史かくし」に基本的な差はない。ただ、よりスマートで巧妙な装いがほどこされているにすぎない。」

曽野は「償い」を「援助」にすりかえたという。
--懺悔をチャリティーにしたら、神様もあきれられることでしょうね……。

曽野氏も上坂氏も。下「」引用。

「曽野氏も、上坂氏に負けず劣らずひどい。「慰安婦問題は、過去のことではない。〔中略〕金を取れるのは常に女の側である。補償産業は、もっとも割の合う国家的商売になる時代がもう来ているのである」(「昼寝するお化け」『週刊ポスト』一九九二年三月一三日号)。」

index







index

index

index

もくじ





エンタメ@BlogRanking




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。