磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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新版イタイイタイ病の記憶 カドミウム中毒の過去・現在・未来

2006年05月02日 | 読書日記など
『新版イタイイタイ病の記憶
 カドミウム中毒の過去・現在・未来』
     松波淳一・著/桂書房2002年、2006年新版発行

ぼくも小学生のときから公害に興味をもっていました。
学習発表会で発表したのを思い出します。
「イタイイタイ病」って名前がつくくらいだから、
よほど痛いんだろうなあと、T君が感銘ぶかく話したのを思い出します。



この日本という国でこのような公害問題や薬害被害についても、
いつも困ったことに差別が被害者を苦しめつづけます。

しかし、古い時代のイタイイタイ病では、さらに差別が激しい。
神岡町は会社を支援(『富山新聞』1968年3月12日」)。
町民が企業支持で決起集会を開いたという。
水俣病でも同じでしたね。

「イタイイタイ病」を広めれば、
結婚ができなくなるなどで、被害者を封じ込めようとしている
ように思えてならなかった。

さらに、裁判費用のことまで問題となっていたようだ。


富山県の報告書(一九六七年)はよく書かれていると思う。下「」引用。

「《イタイイタイ病というのは、主に三五才過ぎから更年期後の経産婦に、農村にありがちな腰、肩や膝の鈍い痛みとして始まる。大腿や上膊部に神経痛様の痛みを訴えることもあり、歩く際にはお尻を振りながらアヒルのような格好で歩くようになる。それでも、この頃はまだ歩ける。
 杖に頼っても歩けなくなる位になると、つまずいたり、転んだりしても簡単に骨が折れる。
 全くの病床生活を送らねばならなくなる頃には、寝返りを打ったり、笑ったりという僅かの動作でも骨が折れ、この時に引き裂かれるような堪え難い疼痛を訴える。全身に七二ケ所も骨折がみられたという記録も残っている。脊椎が押しつぶされて身長が三○センチも短くなった礼がある。
 このようなひどい症状がありながら、意識は普通である。最後まで「痛い痛い」と苦しみにあえぎながら、食べるものも食べられず、衰弱しきって他界するのである。この奇妙な病気で死んでいった人の数は、わかっているだけでも、戦後一○○名近いのではないかと推定されている。
 イタイイタイ病がはじめてその名前を文献上に現したのは、本病の発見者であり、またその研究の推進者であった荻野昇、河野稔が連名で、昭和三○年第一七回日本臨床外科医会で発表した「イタイイタイ病(富山県風土病)と題する報告においてである。
 本病自体はそれ以前にかなり古くから富山県神通川流域の熊野、新保両地区付近に存在していたことは事実のようであり、現地で代々開業している荻野氏は、おそらく大正年間には同種の疾患があったのではないかと推定している。》」


無視した日本政府という小見出しがあり、カドミウムの摂取量の
基準が甘いことが書かれてあった。


草木一本はえていない山を見て異常に感じなかった人は
いなかっただろうに……。

神岡鉱山


イタイイタイ病
「食品に含まれるカドミウム」に関するQ&A




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