磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

歌のとどく日

2008年02月16日 | 読書日記など
『歌のとどく日』
    広島児童文学研究会・作/遠藤てるよ・絵/
      新日本出版社1970年、1974年4刷

広島に住んでいる「児童文学」創作の勉強をしている
会の方たちが集まってつくられた本です。



1.きょうちくとう(山口勇子)
2.ひとつのことば(山下夕美子)
3.魔法の木(中田明美)
4.ダンプ・ハナ・ババ(大辻信子)
5.こんなのいやだ(北川伸子)
6.おにいちゃんおしえて(御手洗旬江)
7.車いすの先生(香川竹子)
8.プロローグかもしれないエピローグ(竹田まゆみ)

「きょうちくとう」で、あの日を思い出すという人はやはり多かったみたいですね。

いかりの広島と書かれてありました。下「」引用。

「ヒロシマの怒りに対して、祈りのナガサキといわれています。祈りということばきれいだけど、わるいものはわるい、おこらなけりゃいけないんですよ。だれがいいだしたのかしりませんが、わたしはそんな、口あたりのいいひびきだけにだまされない。なにもせず、ただ祈っているだけじゃ、なにもなりゃしません。」

長田新は「祈り」などは、平和は来ないといわていましたね。
怒りは大切なものだと思います。

でも、行き過ぎた怒りはどうでしょうか?

この世の中には、ひどいことをしておいて、
「怒りはいけない」と、高尚なことを云っているつもりの方もいますね。
でも、あさましいのは彼の方ですね。
--そんなケースもありますね。

「怒り」を爆発させたり、「憎しみ」をもったり、そんなことはしてはいけないと思うけど、「怒り」は大切だと思います。「静かに」怒り続けておられる方は立派です。

でも、それは何度も書きますが、「おこり地蔵」のやさしさからの怒りであって欲しいと思います。

だけど、被害者の方にそればかりを求めるのも、無理な気もします……。

そうだとしても、やはり平和は理解しあうことがベースであることも否定できないとボクは思う……。

目次

日本の総理は核廃絶をいわないし、国連でも賛成票をいれませんでしたね。8月6日に選挙向けに出席されるよりも、核兵器の本質を見抜いてほしいものです。こんな方もおられることも知っていただきたいものです。下「」引用。

「八月六日--。この“忌(い)まわしい日”は、毎年ぼくの外出禁止ときめられていた。だれが指図したわけでもない。ぼくは、この日の広島の市街を歩く勇気をもちあわせていなかった。ばくぜんとした恐怖があった。平和公園に、慰霊碑前に集まる人の顔を見たくなかった。」


原爆をはりつけにするとは? どういうことなのか? 同。

「広島に暮らすわたくしたち十数名は、児童文学創作勉強のグループをつくっています。小さい仲間(なかま)の集まりですが、のろのろあるきの一年生でも、それなりの全力をあげて、戦争を、原爆を、作品の上にはりつけにしたいと思っています。
 きょうの広島を書こう、とわたしたちは考え、話し合いました。原爆のふかい傷はいまも広島のいたるところに、血をふきだしています。」


大人が書いたものより、どうして子供の作文の方がいいんでしょうね。

そんなことも児童文学を書かれているのなら、考えていただきたいと思います。













もくじ









最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。