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日本軍国主義の源流を問う

2009年11月11日 | 読書日記など
『日本軍国主義の源流を問う』
   星野芳郎・著/日本評論社2004年

図書館の説明文。下「」引用。

「アヘン戦争での「文明の驕り」は、欧米についても日本についても過去のことではない。アヘン戦争から日露戦争まで、日本軍国主義の成立を技術・経済・政治・社会の四次元から解明する。」



制度として西欧技術つかえなかった中国。下「」引用。

「清国皇帝はどんな高級官僚でも一族の高官でも、即座に死刑に処する個人的権力を持ちながらも、制度としては、いくつかの官僚集団や自身の同族集団の連合の上に乗っている存在にすぎなかった。その官僚集団や同族集団は、利害関係によって手を握ったり離したりする関係にある。-略-」

天皇=神聖なので、戦争(俗事)に直接かかわれず。下「」引用。

「ところで天皇は神聖な存在であるから、戦争のような俗事に直接たずさわるわけにはゆかない。したがって、開戦も和平も軍人集団や官僚集団にまかせざるをえない。これが特に軍人集団の独走をひきおこしたのである。天皇の統帥権とは軍人集団の独走権と言いかえてもよい。」

拍手をした日本国民。下「」引用。

「征韓も制清も軍人集団の独走・暴走に端を発していたが、それが多くの日本人の拍手を受けたのであるから、軍人集団はいよいよ清国・朝鮮に対して傲慢になった。むろん軍人集団の独走・暴走にいちじるしい違和感を覚えた日本人も、一部には存在したであろう。一部には存在したであろう。しかし、それは天皇の御稜威(みいつ)のもとでの独走であるからには、公然とそんな発言をしたら、たちまち刑法の対象となったに違いない。」

--「英仏がひきおこした第二次アヘン戦争」
「フランス軍による円明園での大掠奪」 下「」引用。

「一人のイギリス将校が五○○体の仏像から取りだした金の仏像は、一体で一二○○ポンドの値打ちがあり、フランス軍司令官の息子が掠奪した財宝は合計で三○万フランと言われ、それらは馬車に満載された。掠奪は七日から八日まで続いた。フランス軍は一○月九日に円明園を離れたが、五二○○畝(三五○ヘクタール)の名園と総計一六万平方メートルに及ぶ芸術の枠をつくした建築物は破壊され、壊された大型工芸品の破片は散乱して惨憺たるありさまとなった。」

「イギリス軍による円明園の放火と爆破」

基本的人権と「文明の驕り」 下「」引用。

「基本的人権の思想が西欧人の誇りであることはわかる。だが、彼らのその誇りは、資本主義的利権への欲望とからまって、他国、ことに有色人種の諸民族に対する驕りと蔑視に転化している。単に利権に目がくらんだだけでなく、「文明の驕り」という西欧人のゆがんだ心が彼らの暴虐のもう一つの原因である。」

福沢諭吉と中江兆民。下「」引用。

「福沢諭吉には、朝鮮人民のこのような生活の改革にどう協力するかなどという問題意識は全くなかった。中江兆民などを除けば、他の知識人たちもほとんど同じだったのではないか。それはまたアヘン戦争以来の西欧人とそっくりである。」

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議会なしのロシア、そして日本。下「」引用。

「ロシアには議会がなかったから、軍人集団は皇帝の直接の統率下にある。その点では、天皇の統帥権という名の日本の軍人集団の独走権を、ロシアの軍人集団も持っていた。ただし、皇帝の作戦への介入度は、ロシアの方がずっと高い。日本では「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」という憲法第五条があるから、天皇は作戦のような俗事にいちいち介入するわけにはゆかない。と言って、すべての軍人の勝手にさせることもできないから、重要な作戦については上奏させ、ほとんどの場合追認するという形をとる。」

欧米帝国主義と日本軍国主義……。下「」引用。

「日本軍国主義は広い意味では帝国主義の一変種であるが、欧米列強諸国と違う点は、欧米帝国主義は国内での資本の蓄積が過大となり、資本は新しい投資先を求めて今日で言う第三世界に進出し、それを確保するために軍事力を押し込んだのに対し、日本軍国主義が清国や朝鮮に侵入したのは、商品の販売先を拡大するとともに、鉱物資源や農産物資源を獲得しようとするためであったということである。」

外貨が必要だった後進国・日本。下「」引用。

「日露戦争に見るように後進国の日本にとっては、欧米~の兵器やその素材の輸入が不可欠である。そのためには外貨の獲得が必要-略-」

統制が進んだのは、日本人の心に亀裂がひろがったから。下「」引用。

「-略-そうではない。国家神道の整備と言い、三教合同の国民教化の決議と言い、国定教科書の確立と言い、日清戦争時の一枚岩のような国論に亀裂が生じはじめたために、政府はその修復に本腰を入れたのである。」

中江兆民の怒り。下「」引用。

「中江はフランス留学の際、インド洋の諸港にの上陸してみると、イギリス人やフランス人が現地の貧しい住民をまるで犬か豚のように扱っているのを見て、「そもそも欧州人の自ら文明と称してしかしこの行あるはこれ何をいはんや」と怒りを覚え、一八八二年に「論外交」という論文でこう論じた。」

内村「義戦」と反省。下「」引用。

「福沢を初めとして清を討つべしという世論がかきたてられた。敬虔なキリスト教徒であった内村鑑三さえ、後の日清戦争では、これは義戦なりと、英文で世界に訴えるような時代であった。-略-ところが日露戦争に際しては、内村鑑三はかつての義戦論は間違いであったと反省し、真っ向から戦争に反対する反対する姿勢を示した。-略-」

北京大学……。下「」引用。

「なお本書の序章「日本軍国主義の源流を問う五つの視点」は、北京大学の日本研究中心により取り上げられ、同中心が毎年発行している論文集『日本学』第一三輯に中国語訳が掲載されることを付記しておく。」








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