磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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アトミックソルジャー

2008年02月16日 | 読書日記など
『アトミックソルジャー』
   ハワード・L・ローゼンバーグ(著)/
     中尾ハジメ、アイリーン・スミス(訳)/
       社会思想社1982年

当時も、アメリカの軍隊や政府などは人権などを尊重しなかった。そんなことを思わせる一冊です。また叫びたくなりました。「戦争は究極の差別!」。それに至るまでの「平和」と呼ばれる時代にも、差別はいろいろある……。多くの人たちが健康を害して、生命を失われた……。



裏表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「核戦争のモルモットにされた兵士の物語
原爆の爆発を間近で目撃し、「爆発によって無人化した地域」への突進という、史上初のアトミックソルジャーとなることを余儀なくされたラッセル・ジャック・ダンという若い兵士たちの運命を本書は鮮やかに照らし出す。
1950年代を通じて繰り返された原爆演習によってほぼ30万の兵士たちが放射線にさらされた。死の灰にみまわれたセントジョージの町は「米国のヒロシマ」と呼ばれ、ネバダ近くでロケされた『征服者』の、ジョン・ウェインらスタッフの多くがガン死したのも、それが原因だといわれている。アラモゴルドで極秘のうちに出生した核の底知れぬ恐ろしさの前では、誰もがアトミックソルジャーであると本書は語りかけている。」

今もアメリカの一般の人も影響を受けておられることでしよう。
--しかし、裁判などでは因果関係不明ということになることでしょうね……。

--ノースカロライナ州フォート・ブラッグ、1957年8月。

「この機の降下隊員たちは実験台--陸軍人間資源研究局の行なう心理ストレス・テストの被験者--になるということを知っていたのは、中隊には将校たち以外にだれもいなかった。将校たちさえ知らないこともあった。それは、集められた兵隊のうち八○人ほどは二、三週間以内に、原爆の爆心ちかくになんの防護もなしに立つという信じがたい運命にあるということだった。歴史上のだれよりも爆心近くに立つのだ--生きながらえて、それを伝えることのできただれよりもだ。」

この表記は間違っている。
--『歴史上のだれよりも爆心近くに立つのだ』
それは、広島・長崎の人たちの方がより近くに立たされていた。

長崎に上陸したときのことなどが書かれてあった。
40日後であったが、吐き気が続いたという。
おそらく原爆症だったのだろう……。

--長崎からの帰還兵は高効率でガンにかかったという……。


アトミックソルジャーのことを描いた本というよりも、この本は原爆実験の歴史という感じがしてならなかった……。

1950年8月上旬、ロスアラモス科学研究所に、全米トップレベルの物理学者、気象学者、保健関係のエキスパートが、原爆実験場を設置した場合の放射線の害について、まる一日議論したという。
--その参加者には、エンリコ・フェルミ、エドワード・テラーも。


1962年、ゴフマン博士はAECに雇われたという。
--8年前に、ポーリング博士にうまく対抗したからだという。
しかし、ゴフマンは気づく。下「」引用。

「実際彼は、スターングラスの死亡者数推定は過小評価であると気づくようになったのだ。」
そして、リビモアの研究所を「科学の売春宿」と呼んだ。
--リビモアを去ることになる……。

↓翻訳で重いです。
博士の略歴 ジョンWゴフマン、医学博士

訳者あとがき。下「」引用。

「最後になってしまったが、この訳書ができることになったのは、プルトニウム研究会の高木仁三郎さんが原書と私とを、社会思想社に紹介してくださったからである。感謝したい。」

もくじ


ゴフマン博士は過ちを知ったが、魂を売りわたしたような学者はアメリカだけではないとボクは思う……。

チェルノブイリから広島へ









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