磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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子供たちに残す戦争体験

2008年10月25日 | 読書日記など
『子供たちに残す戦争体験』
     新潮45+編集部(編)/新潮社1984年

戦争体験というのも、いろいろあります。軍部の人たちは海老フライをお腹いっぱい食べ、ビールを飲んでいたそうです。この本では、そのような格差社会の特権階級ではなく、一般の人たちが書いておられます。



バケツリレーは役立たなかったという。下「」引用。

「毎日やったバケツリレーなどの訓練は、何一つ役に立たなかった。消防ポンプは横倒しのままだし、派出所のおまわりさんもいないし、町会長の姿も見えなかった。あたりには誰もいなかった。」
これは原爆ではなく、愛知県の空襲でのこと。

国民を守るという人たちの非現実的なのはあきれますね……。

これは今も変わりがありません。

守れもしないのに、守るなんて、よく言えると思います……。


--原爆で「人間の筏」という表現がありました。
それは、何隻もの筏だったことでしょう。

--東京大空襲。
ここでは、マネキンと表現。空襲でも、考えられない状態になっていた……。
そのマネキンは無数の焼死遺体だったという。
遺体のほとんどが大地に立っていることに驚いたという……。

--アフガニスタンの国境に近い、ソ連南部のサマルカンドの収容所。
捕虜になった日本人には、「減食の刑」というのがあったという。

--シベリアで栄養失調。
--鳥目、下痢……、若いのに歯までボロボロになり入歯に。

--列車で運ばれている時に、フィリピン人の群衆から「ドロボウ! ドロボウ!」と非難の声をあびたという。

しかし、この時も大泥棒たちは、とっくに逃げていました……。

--追いかけまわされた日本人。下「」引用。

「最後に家を出た母と下の姉は、もうすっかり暗くなった路上で、自転車にのった朝鮮人の青年に「ヤポンスキー、ヤポンスキー(ロシア語で日本人の意)」と追い廻された。二人はあちこちと逃げ廻り辿(たど)りついた時は、青ざめて、小刻みに肩を震わせていた。」

どこの国にもひどい人はいるものです。


--引き揚げるとき、赤ん坊を欲しがる中国人。
そして「あげます!」という日本人の母。「上げます--という言葉の裏には、栄養失調で死ぬよりも生きていて欲しい、育ててください、といった願いの祈りがこめられていたにちがいありません。」


原爆についても書かれてありました。








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