磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

ふるさと文学抄

2008年12月20日 | 読書日記など
『ふるさと文学抄』
   読売新聞本社・編/赤間関書房s45年

故郷は遠くにありて思うもの……。そんな感じもしないではなかった。名作はやはり人生とつながっているのではないかとボクは思いました。



松本清張にとって、小倉はいい思い出の地ではない。
自伝「半生の記」に、くわしく書かれている。
相場に失敗した父は、当時景気のよかった北九州に流れてきたという。
物心つくころから、両親の夫婦げんかの記憶しか残っていないという。

吉田松陰。下「」引用。

「郷土博物館の斜め向かい、市立明倫小学校をまずたずねる。吉田松陰が兵学を教え聞多が学んだ旧藩校明倫館跡だ。校門をくぐると、剣槍けいこ場・有備館が当時のままで残っていた。萩へやってきた坂本竜馬が剣術の試合をしたこともあるそうだ。」

永井隆博士のこと、ひどい中傷をされる人たちがいる。

永井隆博士は被爆していなかったなどともいう……。
それをよく読んでみたら、コンクリートの建物にいたから、被爆していないという妙な論理をとっている。だとしたら、他の被爆者もそういうケースでは被爆者とはいえないのか?

--その人たちをも罵倒しているとは思われないのでしょうか?
そもそも、入市被曝というのもあったというのに……。

この本では、珍しい表現がありました。永井隆博士は“二重被爆者”という。
放射線医学で働いておられ、当時は被曝することも、今ほど安全ではなかった。

--原爆投下以前に、白血病の診断。
それと原爆による被爆。

永島正一長崎県立図書館長は公務員であるにも関わらず感情論を展開。
公僕とは思えない方でもあったようです。
このような意見をいうならば、民間人になっていただきたいと思います。

永井隆は、寝たきりだというが、夜中にトイレに立つという。
この表現も、医学的にもおかしなものです。
夜中になると、健康に問題がない人のようにすくっと立てれるわけがない。
はって行って、あるいはイザリなど、移動するにもこのような歩行ではない代償行為をとられたことでしょう。

戦後の医療でも、一般人は車いすにすわっている老人を、寝たきりとはいわない。
でも、医療の場合は、自力で坐れないのなら、寝たきりになる場合がある。
また、歩行などでは、時間が非常に長くかかる場合は、実用性がないので、不可という表現もとられる。
--ボタンをつけるのに、一時間もかかっては、役立たないのも当然のことでしょう?


その時の基準、物差しによって変化するものですね。
多くの障害者にたいしても、ケンカを売られているように思えました。

--障害をもっていても、一人でトイレができるようにと改造もしてあったそうです……。

山田かんは、さんざん新聞紙上などでも罵倒をくりかえしたあげくが、この感想か? 下「」引用。

「山田かん氏(同市城山街)は「否定だけでは何も創造できない。有名人に対する長崎特有のやっかみであったのも事実だ」と話している。」

--もし、そうなら、あきれものであると思う。

彼らは有名になり、彼の目的は果たされたといっていいかもしれない……。

平和の邪魔をされる方は古今東西、へ理屈を強引に通そうとされる。そもそも、へ理屈が通る集団の一員であることが問題だろう。

一人の人間として、まず考えて行動されていただきたいとも思う……。

五高(いまの熊本大学)在職中の明治三十二年九月、漱石は同僚の山川信次郎と阿蘇に上った。「二百十日」は、この時の印象をもとに、三十九年秋に書かれたという。

沖縄『ひめゆりの塔』石野径一郎・著もありました。







index

Index

目 次





エンタメ@BlogRanking


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。