磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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教科書に書かれなかった戦争Part 42 中国撫順戦犯管理所職員の証言

2009年03月03日 | 読書日記など
『教科書に書かれなかった戦争Part 42 中国撫順戦犯管理所職員の証言-写真家新井利男の遺した仕事-』
   新井利男・原編/新井利男・資料保存/梨の木舎2003年

どうもボクには理解できない本でした……。
書かれてあることが、どの人も同様のものばかり……。
--捕虜として、戦犯として、中国に……。
日本人捕虜は自殺したり、自殺未遂をしたり……。
それで、管理を厳しくしていたという。
もし、いい状態ならば、自殺などあったのだろうか?
--捕虜といっても、当然、国際法をまもるなら、人権は守られているはずだが……。
人権の“ジ”すら出てこない……。きちんとした裁判だったのかも理解できない……。
--日本軍と同様に、奇妙な論理が展開されているように思える……。
この誠実ぶった人たちは、毛沢東主犯の文化大革命をどう過ごしたのだろうか?



毒ガスが使われたという……。下「」引用。

「罪状は四件で、主な罪行は四二年五月に行なった「翼中作戦」の毒ガス虐殺事件である。国際法に違反した重大事件として中国は注目した。
 河北省北疃(*田に童)村を襲撃した際、地下道に避難した住民に毒ガスを投げこんで八○○余名を殺した。婦人三五名を強姦し、三名をその後殺した。一家全滅は二三世帯。民家三六軒も焼き払った。
 最終陳述で上坂は、国際法規に違反したとはっきりと述べ、深々と頭を下げた。-略-」

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戦犯……。下「」引用。

「私は抗日戦争の時期に日本軍の残虐な行為を目の前でたくさん見てきており、それに両足を不自由にもされ、日本人に深い恨みを持っていました。その日本人戦犯を取り扱うと聞いたからでした。あの殺人狂どもを勾留し、裁判にかけられると思うと、誇りとも慰めともいえる熱い感情がわいてきたのです。」

ここでも、食事のことで捕虜を優遇したという……。下「」引用。

「職員たちは納得できません。私は理解ができなかったのです。私も上司にこのことを質問したことがあります。なぜ戦犯を優遇するのかと。炊事班や看守は戦犯の食べ物を作ったり配ったりします。しかし、自分自身が食堂で食べるのはそれとかけ離れたものだから納得できない-略-」

これは、ドキュメンタリー映画でも、日本人も証言していた。

どう比べても、日本軍の捕虜の扱いよりはよかっただろうとは思うが……。

洗脳という問題もあるのではないか?

細菌部隊……。下「」引用。

「一九四六年春、ソ連政府はハバロフスクにあるポリ内務局を中心に、日本帝国主義の中国侵略と支配に関する罪業調査を始め、収容されている私たちと日本人に対して尋問を行い、告白書を書かせました。その目的は、東京で行われる極東裁判で、「満州国」の皇帝溥儀や中国人たちを利用して、中国侵略と対ソ戦略を企てた日本帝国主義とA級戦犯となっている帝国主義者たちの罪業を明らかにすることでした。特に細菌戦部隊に関しては重点的に調査が行なわれました。一九五○年に中国に移管された九六九名の中に細菌部隊に属していた者が少なかったのは、ハバロフスク裁判でほとんどの者が刑を受け、ソ連に残されていたからでした。」

ヒロシマ……。下「」引用。

「こうしたフィルムを持ってきて上映すると、戦犯たちは深い感銘を受けます。たとえば、中将で第五九団の団長だった藤田茂さんは、『ヒロシマ』を見た後の討論の中で、自分たち一家の体験を語りました。「私は日本帝国主義が正しいと思って、中国を何回も侵略して至る所において罪業を犯した。その結果どうなったか。私はこの監獄で自分の前半生を反省しなければならない。私の姉の一家はアメリカの原爆で全部殺された。これが天皇が発動した侵略戦争の結果である」と、大きな声で叫びながら泣いて話したんです。お姉さんは広島にいたんです。藤田さんの奥さんが管理所に面会に来たとき「原爆でみんな殺された」と知らせたのでした。」

恫喝によるものであって、平和主義ではない。

彼らは人道や人権から生れた平和主義者ではないと思う……。

クラウゼヴィッツ人にしかボクには思えなかった……。

戦勝国の民……。










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