磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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核抑止か核廃絶か

2008年06月24日 | 読書日記など
『核抑止か核廃絶か』
   非核の政府を求める会・編/大月書店1988年

帯に書かれあります。下「」引用。

「核廃絶は非現実的だ、核兵器の脅威が世界戦争を抑止しているのだ、とする核抑止論。では、人類には、核の恐怖におののきながら生き延びるという道しかないのか。核軍拡を正当化する核抑止論を徹底的に論破する。」



湯川・朝永宣言について書かれあります。下「」引用。

「たしかに、湯川・朝永宣言「核抑止を超えて」(一九七五年)も「核抑止による安全保障は成り立ちうるという誤った考え方」を指摘している。「核兵器の保持による威嚇が平和の維持に役立っているという見解」の危険性については、すでに第一回科学者京都会議の声明(一九六二年)の強調しているところである。」

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朝永振一郎の論文のほうがより詳しく、具体的に書かれてあると思う。

相手より優位でいないと気がすまないから、軍拡路線となる……。

事実、核は拡散しつづけている……。

国際法廷が組織されていないという。下「」引用。

「いかに国際法に反していても正義はいつも勝者にあるのだ、という考え方を前提となっていよう。広島・長崎への原爆投下は当時の国際法のもとでハーグの陸戦法規など交戦法規違反であったし、ニュルンベルク・東京裁判の法規に照らせば人道にたいする罪に該当することは疑いないと解するべきだが、それを裁く国際法廷が組織されたわけではない。」

まったくないというわけではないが、まだまだだろう……。
アメリカ政府などのダブル・スタンダードを許してはいけない。

こんな抑止論をつくった人たちは無責任な学者としか思えない。下「」引用。

「いわゆる「湯川・朝永宣言」が明らかにしているように、それは核兵器使用のおどしによって戦争を抑止できるという「迷妄」あるいは「ドグマ」に過ぎないのである。しかしそれが現在世界の核保有国の安全保障政策を支える“教義”となっているために、なかなか湯川・朝永宣言の立場に立ちえないのである。」

そして日本政府。下「」引用。

「明治政府いらいの日本の政治路線は、一貫して抑止論に固執しつづけてきたし、戦後の自民党政府は、際立った核抑止論に固執する政府としてある。」

「被爆の実相の語り部として」黒川万千代・著。
--1981年、イタリアのウニタ祭に招かれたという。
そこで、被爆者の訴えをしたという。下「」引用。

「イタリア共産党の平和政策の百八十度転換を内外に示したまさに歴史的なものであった。
「社会主義国の核兵器は平和を守る核」という、良い核による核抑止論を転換し、核兵器は廃絶されるべきと変えたのだから大きなショックで受けととめられたのはいうまでもない。」

また、江戸家猫八さんなどのことも書かれてありました。下「」引用。

「そして語るためにはどれくらい多くの心の葛藤とたたかわねばならなかったか。それは芸大教授平山郁夫氏が被爆体験を描くのに三○年の年月がかかり、江戸家猫八師匠が体験を語るまでにやはり三○年余の年月がかかったことを見ても理解していただけよう。」


キノコ雲から這い出した猫






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