磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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“平和都市ヒロシマ”を問う

2008年06月24日 | 読書日記など
『“平和都市ヒロシマ”を問う』
   湯浅一郎・著/技術と人間1995年

湾岸戦争と広島というのをサブタイトルにつけてもいいような気がしました。
--“平和都市”と呼ぶにはやはり悲しいし虚しい。ヒロシマもやはり日本の一部なのだと想いました。



湾岸戦争とは何だったか? 下「」引用。

「湾岸戦争とは何だったのだろうか?同時代に生きていてもその本質を洞察することはなかなか難しい。ただイラクをクウェートから撤退させるためだけなら「国連」の御旗をたてて戦争を仕掛け、十数万人もの人命を抹殺せずにすんだはずだ。今ふりかえってみて、米国は初めから戦争をするつもりだったとしか思えない。」

このことによって、日本はどうなったのだろうか……。
湾岸戦争によって、日本の経済に影を落としたのではないだろうか?
--そのことは、この本では書かれてはいないが……。
石油の値段をあげるためには、中東が火薬庫でなければならないという人もいる……。

著者はアメリカが湾岸戦争を起こした理由をあげる。下「」引用。

「1. 政治的にポスト冷戦における世界の新秩序を米国の主導で行なうために「国連」という第三者機関を漁して、世界を戦争に巻き込む必要があった。
2. 経済的には中東の石油資源に対する支配権を確保する必要があった。
3. 社会的には米国内の失業、ホームレス、教育、麻薬などの深刻な問題から人々の関心をそらせ、国民の意識統合を実現するために何か熱狂するものが必要だった。」


そして、日本は戦争国家へとまた一歩すすめた……。下「」引用。

「1. 百三十億ドルの戦争費用を出し、米国の戦争続行をしたから支えた。
2. 在日米軍の戦争参加を積極的に支持した。
3. 米国基地を維持する「思いやり予算」が初めて戦争を支え、使われた。
4. 掃海部隊の「派遣」という形で、多国籍軍の一員として自衛隊の海外派兵への第一歩を踏みだした。」

そして、平和都市ヒロシマでは……。

ヒロシマのど真中を殺人兵器が通ったという。下「」引用。

「最も象徴的なのは広島市である。ヒロシマは世界に向けて核廃絶、平和都市を訴え、もてはやされている。その町のど真ん中を戦場に持ち出される爆弾が市当局も知らないまま輸送された。日米安保のもとで日本側は全く無権利状態に置かれている。米軍基地から持ち出された殺人兵器がどこを通ろうと知ることも文句をいうこともできない。ヒロシマもその例外ではなかった。ヒロシマの平和とは何なのか暗澹たる想いにならざるをえない。まさに「湾岸戦争がヒロシマを走った」という事実は歴史から消えることはない。」



1989年1月、「入れるな核艦船!飛ばすな核攻撃機!ピース・リンク広島・呉・岩国」という連絡組織を結成されたという。

--自己決定権を持たない自治体、住民。

三重苦。
1 岩国基地に核持ち込み疑惑
2 呉入港の米艦の核持ち込む疑惑
3 その核兵器事故の心配 下「」引用。

「八八年六月カリフォルニア大学のJ・デービス博士の評価によると、呉で一発の核トマホークが火災に巻き込まれ放射能がもれでたとすると、少なくとも一○○キロ圏内でプルトニウム汚染が起こるという。」

非核自治体のできること……。下「」引用。

「広島県には七六の非核宣言自治体(八九年九月現在)がある。全国自治体八七の八七%に相当する。これは、かなりの数だ。全国の非核宣言自治体が一四五三だから、その二○分の一である。そしてほとんどの宣言には「非核三原則の厳守」とか「非核三原則の実施」という文も含まれている。しかし、その実態は宣言を広報に載せたり、垂れ幕を庁舎にかけるぐらいのことでしかない。」

「天罰」ということについて。下「」引用。

「一方でアジアの民衆が「原爆を天罰とみなす」ほど日本による侵略行為がいかにむごかったかを知らねばならない。」

そういう冷静な分析もあるわけですね……。








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