磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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原爆文献誌

2008年10月29日 | 読書日記など
『原爆文献誌』
    豊田清史・著/崙書房1971年

「原爆の子の像」をきづく会の世話人をされていた
広島市立中学校の先生が著者です。



原爆資料館に佐々木禎子の遺品は、
この著者が寄贈されたようです。
その時の様子が書かれてあります。

佐々木サダコは一度も中学校に
出席できなかったと思います。
その在籍していた中学校の
生徒会の世話をされていたのも、
著者だったようです。

その縁があってか、佐々木禎子の
遺品を原爆資料館に寄贈するときの
ことが書かれてあります。

もくじ

科学的なことで選考されていたと
書かれてありますが、佐々木禎子の
手紙なども寄贈を受けられても
よかったのではないかと、
僕は思います。

当時は、原爆資料館の資料が、
一人の人で決められていたとは、
知りませんでした。

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広島での大田洋子のことが書かれてありました。

著者は半日、大田洋子の取材のガイドをしたそうです。
それは「人間襤褸」のためだったようです。

料理屋で“鰻めし”をおごってもらったりした。
著者はこの冊子では、大田洋子のことを好意的に捉えて
おられるように思えました。

しかし、後にかわったようだ。

広島の遺書

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レッドパージのことも書かれてありました。

政党に利用される文学作品として、
峠三吉の詩集があげられていました。

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発禁本ではなかった「原爆体験記」
(広島市原爆体験記刊行会編)」

「黒い雨」と重松日記について書かれてありました。下「」引用。

「井伏鱒二氏の「黒い雨」が書かれたいきさつを、或る程度くわしくは知っているわたしに対して、果たしてこの作品と重松日記との比重はどうなのか、とよく聞かれる。聞かれるのはたいてい広島の新聞記者や、いわゆる文学雑誌の同人からであるが-。
 ヒロシマの作家たちの「黒い雨」に対する評判は決してよくない。「あまりにも巧みにかかれすぎている」「実在のモデルの日記をうまく料理したに過ぎない」「第一政治作品に背を向けて、小品オンリーの井伏氏が、こういうテーマに取り組むのが、無理」といった酷評まで出たことは確かだ。」


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著者はこの日記を書かれた方と知人であり、
井伏氏に小説を書いてもらったらと教えたのも、
この本の著者だったようだ。


〈ヒロシマ・ノート〉にしても、
こんな評価をしている方もいます。同。

「死をもってしても文芸たり得なかったと言うことが言われるけれども、大江健三郎氏をもってしてま、広島の真実がとらえられなかった。むしろフィクションのもとに書かれた井上光晴の〈地の群れ〉により多くの真実を感じる。」


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井上光晴の評価は没後、
大きく変化しましたし、今では評価も
変っているのはないでしょうか?








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