磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

地域から問う国家・社会・世界-「九州・沖縄」から何が見えるか-

2009年08月10日 | 読書日記など
『地域から問う国家・社会・世界
  -「九州・沖縄」から何が見えるか-』
     石川捷治、平井一臣・編/ナカニシヤ出版2000年

「はじめに」で書かれてあります。下「」引用。

「二○○○年夏、サミット(主要国首脳会議)開催地として、日本中の関心が、世界の関心が「九州・沖縄」に注がれた。普通、サミット開催地は、ひとつのとし自治体であるのだが、今回は、沖縄、宮崎、福岡と三つの自治体にまたがって開催された。-略-」



さまざまなことが書かれてあります。

韓国での原爆展について。下「」引用。

「平野は原爆展をこう振り返った。
「韓国の人たちに原爆の悲惨さを知ってもらい、一緒に反核運動をやっていこうなんて、そんな簡単にできることじゃない。今回の原爆展についてあえて自負すれば、原爆展を開いたこと自体がすごいことなんだ。他の市民団体や長崎市などがやろうとしても多分難しかったと思う。これまで韓国の被爆者救済に取り組んできた実績があったからこそ、原爆被害者協会や現地の人たちの協力をLことができたんだ。これまで韓国の人たちと意識の上でずいぶん隔たりがあった。それが今回の原爆展でその距離がぐっと縮まったことを実感している。これからだなあ、という気がする」」

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被爆二世……。下「」引用。

「被爆者を母にもつ平野が、自らを被爆二世であると意識したのは、友人の死がきっかけだった。小学校からずっと一緒だった同級生が高校二年の時、体育の授業でバスケットをしていて突然倒れたのだ。急性白血病だった。病院に運ばれて闘病生活に入った。平野たち同級生は輸血運動などに取り組んだが、その甲斐もむなしく亡くなったのだった。彼の両親は直接被爆したのではなく、原爆投下後に被爆地に入り、残留放射能を浴びたのである。被爆二世に対する遺伝の影響について、平野はその時初めて考えさせられた。」

三つのテーマ、被爆二世教職員の会。下「」引用。

「被爆二世教員の会のテーマは、大きく三つに分けられる。まず第一に被爆二世の健康問題。二世に対する遺伝的な影響が医学的に十分実証されていない中で、国などに二世の健康検診などの取り組みをつよめるよう働きかけねばならない。第二は反核運動。被爆者の高齢化が進む中で被爆体験を引き継いでゆかねばならない。第三には平和教育の充実。教職員の集まりという組織である以上、当然出てくるテーマである。こうした課題を掲げて出発した被爆二世教職員の会は、被爆体験を語り継ぐ会を発足させたり、各国の核実験に対する平和公園での抗議の座り込みに参加したりした。」

もくじ

ヒサキ・ジャーナル

水俣、元工場長「革新」市長と運動……。下「」引用。

「水俣では労働組合の支援によって元工場長が「革新」市長になっていたほど、圧倒的にチッソの支配が浸透し、被害者が沈黙を強いられてきた。
 しかし、新潟水俣病の被害者が水俣を訪れたのをきっかけにして、六八年に社会党市議を中心として「水俣病市民会議」が結成された。さらに熊本市でも翌年「水俣病を告発する市民の会」が結成され、水俣病裁判を支援するようになる。つまり初期には、新潟で形成された社会運動ネットワークに触発され、個人のつてという知人ネットワークを基礎にして、支援と連帯のネットワークが形成されていった。その後、労働組合、弁護士や医者などの専門家集団が支援団体として組織され、裁判を支援するようになる。」

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