磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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朝永振一郎著作集1 鳥獣戯画

2008年05月23日 | 読書日記など
『朝永振一郎著作集1 鳥獣戯画』
  朝永振一郎・著/串田孫一・解説/みすず書房1981年

朝永博士は鳥獣戯画が好きで、模造品を購入されたようだ……。もちろん、本物は買えない……。朝永博士は、ドイツのハイゼンベルクのもとでも勉強されたようです。



京都に引っ越したという。下「」引用。

「私の生まれは東京だけれど、小学校一年生のときに東京から転入してからずっと大学を出るまで京都で過ごしてから、きっすいではないが、京都っ子の仲間に入れてもらえよう。
 子どものころは、聖護院の境内に、おそれ多くも光格天皇の一夜御殿というゆいしょある大きな建物を借りて住んでいて、そこの若いお坊さんによく遊んでもらった。-略-」

ボクの小学校の先輩でもある……。下「」引用。

「聖護院に住んでいるころ、錦林小学校に通っていて、吉田山の向うの田んぼへおたまじゃくしをすくいに行ったり、近くの中学校の校庭でタコあげに興じたりした。そのころは、黒谷さんの近くまで町があったが、そのさきは大文字山のふもとまでずっと田んぼであった。吉田山のお稲荷さんにはキツネが住んでいるとのことであった。昔は学校のあたりまで熊野神社の境内で、うっそうとした雑木林であって、秋になると、一面に美しい紅葉したので、錦林の名が生れたのだと聞いている。当時はすでに、この林はなくなっていたが、それでも熊野神社の前には大きなケヤキが数本残っていて、この老木には白いヘビが住んでいた。」

「オッペンハイマー」とタイトルする文章もあった。下「」引用。

「彼の書いた「私は水爆完成をおくらせたか」(中央公論、六月号掲載)を読んだが、感じられることは、そのときどきで立場は変るけど、その時における態度が異常にはっきりしていることである。はじめに超然と研究一本やりで、ラジオも聞かず新聞もよまない。それがスペインの内乱やドイツのナチスの暴虐に怒りを感じて突然政治に関心をもちはじめ、いろいろな運動に参加し共産主義者とも交わる。原爆を作ることになると全力をあげて専心する。水爆の計画が出ると徹底的に反対するが、大統領が決定声明をすると、反対の立場はとにかくとして客観的に計画を考えてみる。」

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戦争中、三鷹の天文台の近くに疎開。
--そこは博士の妻の実家。

ポリバケツの有効性も書かれてあった。下「」引用。

「それにしても、近ごろけは水洗便所と、密ぺいできるポリバケツのごみ入れとの普及で、DDTなど使わないでも蝿はほとんど姿を消した。それと同時に、多くの家庭から蚊帳がなくなったように、蝿とのつきあいから生れたいろいろな器具がわれわれのまわりから姿を消して行ったのはさびしいことである。」

蝿をとるワナ。下「」引用。

「魚とか海老とかをつかまえる筌(うえ)というしかけがある。それと同じ原理で蝿をつかまえるガラス製のびんが、台所とか食物を売る店などによくおいてあった。びんの中に酢を入れておくと、そのにおいに誘われて蝿がびんの中に入り、筌の中に入った魚たちと同様、外に出られなくなる。」

薬よりエコかもしれない……。

ドイツ留学。下「」引用。

「昭和六、七年ごろドイツのライプチヒ大学と京都大学との間には互いに留学生を交換するという制度が作られていた。このライプチヒ大学にはマトリックス力学の発見者であるハイゼンベルクという天才的学者がいて、そこには量子力学を研究する世界じゅうの若い学者が集まっていた。」










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