磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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新潮カセットブック0045 火垂の墓(ほたるのはか)

2006年08月13日 | 読書日記など
『新潮カセットブック0045 火垂の墓(ほたるのはか)』
     野坂昭如・作/橋爪功・朗読/新潮社s63年

A面 火垂るの墓 42分36秒
B面 火垂るの墓 28分24秒
   野坂昭如自作を語る 5分41秒
が収録されています。




【作品解説】
野坂昭如の「火垂るの墓」は『オール読物』の昭和四十二年十月号に掲載され、それと前後して発表された「アメリカひじき」とともに、翌年春、第五十八回直木賞にえらばれた。
 これは昭和二十年九月二十一日に、三宮駅の構内で栄養失調のために死んだ浮浪児の清太とその妹節子の、死にいたるまでを独特な文体で描いた短篇である。死んだ清太の腹巻のなかからドロップの缶が発見され、それを駅員がなげると小さな骨のかけらがころげ出す。その骨が清太の妹の白い骨だという説明から、話はカット・バックで神戸の大空襲へもどり、それまでの時間的経過をたどるが、構成もごく自然で、関西弁をいかした饒舌体も、その雰囲気をもり上げている。
 野坂昭如が神戸で空襲にあうのは、中学三年のときだ。六月五日に焼け出され、西宮の満地谷(まんちだに)にあった遠縁の家に身を寄せた。焼跡から食糧や衣類を掘りおこし大八車で引いていったが、夙川(しゅがわ)の畔りまでくると日が暮れ、小川のせせらぎとおびただしいほたるの群れに、生きるという実感が迫ったという。
 中学生だった自分には、幼い妹の親がわりをつとめることは容易でなく、蚊帳の中にほたるを放って心をまぎらせてやるのが、せめてもの思いやりだったと回想しており、小説中の清太には、亡き妹に対する作者の鎮魂の想いが託されている(尾崎秀樹)」

「野坂昭如自作を語る」というのは、興味深いものがありました。映画でもあるこの話が、自伝であったとは知りませんでした。

ただ、だいぶ脚色が入ってると語っておられました。
妹も野坂さんも、養子で血のつながりはなかったという。
あのお兄さんのようにやさしくなかったという。
いろいろ複雑な想いで小説を書いていることを、率直に述べておられます。


【関連サイト】
実写版
無料・壁紙

本日(2006年8月13日)実写版を拝見しました。
原爆孤児は何万人かどう死んだのかもわからないという。

この主人公の話だけではなかったのかもしれないと思いました。
ほかにも、こんな話があったのかもしれないと思いました。

そうしたら、「誰も知らない」という映画を思い出しました。

どう考えても、ああいう人物は松島さんタイプではないと思いました。
もっと、情けない人だったようにボクには思えてなりません。

今、戦争があったら、自然もないのでどうなることやら……。
戦争は庶民にとってはマイナスでしかありませんね。



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