磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ベルリンヒロシマ通り 平和憲法を考える旅

2008年03月27日 | 読書日記など
『ベルリンヒロシマ通り 平和憲法を考える旅』
   水島朝穂・著/中国新聞社1994年

ベルリンには『ヒロシマ通り』や『ヒロシマ橋」があるという。それはファシズム(反民主主義」を忘れないためであるという……。ヒロシマ、地名としての広島は日本にあるのだが、日本ではファシズムということを忘れさったのではないだろうか? いや、ファシズムということを見つめることもしていなかったのではないか?
--アメリカが原爆投下したのも、ファシズムである!!! 決して民主主義ではない。



帯に書かれてあります。下「」引用。
「“旅する学者”の平和憲法論
水島さんは旅する学者であり、この著作は、その旅のやや硬質な記録だといえる。読者は、共に旅をしながら、反核と平和憲法という切り口で鋭く切りとられた、日本やドイツの風景を、しみじみと見つめることになるだろう。
        映画監督 山田洋次」

帯の写真によれば、著者は男性です。

ヒロシマ・シュトラーゼとは。下「」引用。

「ドイツ・ベルリンの中心部に、ティアガルテンという大きな自然公園がある。その南側を走るティアガルテン通りに面して、旧日本大使館がある(現・日独文化センター)。隣のイタリア総領事館との間の小さな通りは、ちょっと古い地図を見ると、旧国防軍提督にちなんだ。「グラフ・シュぺー通り」だが、ここ二、三年の間に出た地図では、「ヒロシマ・シュトラーゼ(通り)」となっている。」

1990年8月31日付『中国新聞』、写真込み四段記事で書かれてあったいたという。。下「」引用。

「-略-昨年(一九八九年)八月、広島市で開かれた第二回世界平和連帯都市市長会議に出席した西ベルリン市のノルベルト・マイスナー大蔵大臣が広島市側に伝えていた」と。」

ヒロシマ公園は拒否されたという。下「」引用。

「一九八五年九月二一日。ここで、地域の平和市民グループや労組が中心となって「平和祭典」が行われた。その時、この公園を「ヒロシマ公園」と改名することが初めて提起された。-略-区当局はこの要求を拒否した。」

ヒロシマ橋について。下「」引用。

「一九四七年一○月一日の大ベルリン法令集三巻二一号には『グラーフ・シュぺー橋』が何らかの間違いで記載されませんでした。私たちは、この橋の改名の遅れを、別の名前を決定した四三年後の今日、取り戻すのであります。この日、『ヒロシマ橋』という命名により、最初の原爆の結果としての、ファシストの人間蔑視政策の結果としての言いようのない苦痛と苦悩を思い起こすのです。」

「ヒロシマ通り」「ヒロシマ橋」の実現に貢献したのはハインツ・シュミットさん。

--チェルノブイリ事故により「◆原子力「平和利用」から脱却の動き」
演劇『 ヨーカリ(Youkali)』、そのテーマは「チェルノブイリはもう忘れたのか」。

「憲法」理解には、戦争は避けて通れないとボクも思いました。

恵庭事件や沖縄、軍都・広島についても取り上げられていました。


↓ 翻訳ソフトで重いです。
ヒロシマ通り


追悼ハインツ・シュミット 2003年5月12日






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