磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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われら水爆の海へ〈俊鶻丸 ビキニ報告〉

2008年03月16日 | 読書日記など
『われら水爆の海へ〈俊鶻丸 ビキニ報告〉』
  俊鶻丸 船長 駒野鎌吉・著/
    中部日本新聞社記者 谷口利雄・著/
      日本織物出版社1954年2版

ビキニの海へ調査しに行った船。その船の名前は俊鶻丸。同行した記者などによって書かれた本です。




見送りは華やかなものであったという。下「」引用。

「大臣・長官も手を振る華やかな出航風景だが、見送りの家族たちの表情には“放射能への心配”がきざみこまれていた。水産業者の顔も印象的。」

しかし、アメリカのことを考えれば気持ちは暗くなったようだ。
そして、こんなことを噂していたようだ。下「」引用。

「調査団の中ではこんなことをいっている。俊鶻が、南太平洋の何処かでボカ沈を喰うかも知れないというのだ。例え生存して、海上を泳ぎ回っていても、機銃掃射で……。というのだ。全く馬鹿気た想像だが、真剣に言っているのだ。だから米国側から、どんな形でも良いから乗船を希望しているのだ」……ETC。こんな話が、乗船と決まった九人の記者団にかわされたものだった。」

今のアメリカの言いなりの政府とは大きく異なるとボクは思いました。

日本にも影響を与える原水爆実験。
--食品にも影響をあたえる……。
命にかかわる問題である。

水産庁がこれを決めた。下「」引用。

「三月末の衆議院水産委員会席上、政府関係の説明委員の清井水産庁長官は、代議士諸公の
「水産庁は調査の用意をもっているのか」
という質問に
「現在計画を進めています」
と答えた。
 ウソから出た真か。--調査船の派遣は本決まりとなったのだ。
 船の選考が進められた。俊鶻丸、鹿児島丸(鹿児島水産大学)、東光丸(水産庁の新造船)、海鷹丸(水産大学)の四船が候補にのぼった。海鷹、東光は航海予定が決まっており鹿児島丸は文部省の所管だ。白羽の矢は俊鶻丸にささった。四月五日下関の同船から駒野船長が、思いもがけぬ電報を貰って上京した。こうして計画は軌道にのってきた。」

しかし、大蔵省(現・財務省)や外務省は乗り気ではなかったようだ。下「」引用。

「攻撃の対象は、三千万円余りの水産庁の要求予算額を、単なる予算削減から、パッサリと一千四百万円余りに削った大蔵官僚への不満、そして対米折衝となると、まるで金しばりに合ったように、俊鶻丸の寄港地さえ、堂々と交渉を進められぬ外務省など……。調査員の率直な批判だった。」

戦中は日本領土であった地。日本兵の「餓死日記」を発見。
--その島の名はウエーキ島。
「渡辺ミツマサ兵長の書遺した日記の一部」

高射砲のことが書かれてあった。下「」引用。

「この戦闘で、陸軍の高射砲は全く役に立たなかったのに反し、海軍の方は高速で襲撃して来る敵機にうまく対抗していた。これは昭和十八年十月六、七日と同十九年五月二十三日に次ぐ、第三回目の激戦であった。」

倉庫の当番の歩哨は味方が特攻をしかけてくるという……。下「」引用。

「一月十三日
 一番嫌いな倉庫の当番歩哨だ。戦友が死を覚悟で盗みに来たらそれは自分にとっても死を意味する。嫌な仕事だ。偵察機一と爆撃機一。」

そのくらい飢えていたということ……。

ビキニの海水は汚れていたという。
そこで生きている魚も汚染されていた……。

天然かどうか? は人工の放射性物質があるかどうかで判断できる……。

医師も同船に同行……。下「」引用。

「耳たぶにチクリとメス。ドクターが採血している。白血球の検査は定期的に続けられた。第二の福竜丸の犠牲者を出してはならないのだ。」

学者だからといって、信用できるわけでない。
--このように、きちんと報告した日本の学者もいれば……。

国際的に顰蹙をかった日本の学者もいる。



チェルノブイリから広島へ








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1 コメント

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お蔵入りの漁民被爆 (子ガニ)
2012-11-04 10:31:52
愛媛の民間放送南海放送局制作になる『放射能を浴びたX 年後』という衝撃的なドキュメンタリー映画をみた後、監督の伊藤英朗氏のトークのなかでこの本が紹介されました。絶版だと思いますが、「誰も何もいはず、知らされず」の賠償「手切れ金」200万ドルで千隻にも届かんとする日本の漁船の乗組員たちがかくも不可解な死に方をし、58年にもなりなんとする歳月に医療の補償もなにも受けられずにおられたことに、日本の恥さらしと義憤を感ぜずにはおれません。フクシマの後のいはゆるメディアブラックアウトは、残念ながらいまも続いていると思いますし、市民レベルから改めて声を上げて何がなされなにがなされなかったかを検証せずには、フクシマの罹災者たちも微々たる手切れ金でうやむやの処理がされるのではないかと懸念されます。この貴重な本が再版されたらいいと願います。
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