磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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チェルノブイリの祈り-未来の物語-

2009年09月09日 | 読書日記など
『チェルノブイリの祈り-未来の物語-』
   スベトラーナ・アレクシエービッチ(著)/
     松本妙子(訳)/岩波書店1998年

表紙の裏の裏に書かれてあります。下「」引用。

「1986年の大惨事から十数年間、人々が黙していたことは何か、幾多の文献や映像が見落としていた事実とは何か。本書は、巨大事故に遭遇した被災者達の衝撃、悲しみ、思索を鮮やかに描き出した珠玉のインタビュー集。」



著者紹介 「1948年ウクライナ生まれ。国立ベラルーシ大学卒業後、ジャーナリストに。戦争の英雄神話をうちこわす著作を発表し、絶えず権力からの抑圧や干渉を受けている。」

最初の死者と病院関係者……。下「」引用。

「夫に会いました。全身むくみ、腫れあがっていた。目はほとんどなかった。「牛乳か必要よ。たくさんね。全員が三リットルずつ飲めるくらいたくさんいるわ」と彼女。「でも、夫は牛乳を飲まないのよ」「いまは飲むわ」。この病気のほとんどの医者、看護婦、特に看護員はこのあと病気になり亡くなります。でも、このときはだれもそんなことは知りませんでした。
 一○時、〔原発〕運転員のシシェノークが死亡。最初の死者でした。一日目に。私たちは二人目のワレーラ・ホデムチュークが瓦礫のしたにとり残されていることを知っていました。彼は、ついにつれだされることなく、コンクリートで固められてしまった。でも、私たちは、夫たち全員が最初の死者になるなんてまだ知らなかったのです。」

日本の医療関係者はチェルノブイリ事故のことなど考えているのでしょうか?
--防災訓練はもちろん、考えていませんね……。

ナチスに協力した警官の彼女? の自殺。下「」引用。

「ぼくは、ひとりの女性が自殺しようとしているのを見たことがある。川べりの茂みのなかで。煉瓦をひろつて自分の頭を打ちつけていた。彼女は、村じゅうに憎まれていたポリツァイ〔独ソ戦の際ナチスが被占領地の住民から徴募した警官〕の子を身ごもっていたのです。-略-」

Index

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黒い斑点と検査は誰のため? 下「」引用。

「妻と娘を病院に行かせました。ふたりは身体じゅうに黒い斑点ができていました。あらわれたり消えたり。五コペイカくらいの大きさだったが、痛くもかゆくもないという。検査をされました。「検査の結果を教えてください」と頼んだら「あなたがたのための検査じゃない」といわれた。「じゃあ、いったいだれのための検査なんですか?」」

志願した人。下「」引用。

「ぼくは行った。行かなくてもよかったんだが、志願したんです。当初は、あそこで無関心なやつはみかけなかったが、あとになって慣れてしまうと、うつろな目をしていた。勲章をせしめたい? 特典か。くだらんね。-略-」

こっそり教授が教えてくれた。下「」引用。

「娘に肛門が作られ、膣が形成されました。最後の手術のあと、排尿がまったくできなくなりました。カテーテルの挿入がうまくいかず、また何回かの手術が必要です。しかし、これ以上の手術は外国で受けるようにすすめられました。夫の給料が一二○ドルだというのに、何万ドルものお金をどうしろっていうの。ある教授がこっそり教えてくれました。「このような異常をもつお子さんは科学にとって大きな意義があります。外国の病院に手紙を書きなさい。彼らは関心を抱くはずです」。だから手紙を書いています(泣きだすまいとする)。-略-」

学者グループと医者狩り……。下「」引用。

「ヘリコプターで学者グループがやってきた。ゴム製の作業服、長いブーツ、保護眼鏡。月へ行くような格好。老婆がひとりの学者にそばよって聞く。「あんた、なに者だね?」「学者です」「ほう、学者さんですかい。みなの衆、この方を見なされ、めいっぱい着こんでめかしていなさる。私らはどう?」。棒を持って学者を追いかけまわす。いつか学者狩りが行われるんじゃないかという思いが、何度もぼくの頭をよぎりました。中世では医者狩りが行われ火焙りにされたように。-略-」

ヒロシマの結婚差別のことを知っている。そして、夫の母の言葉。下「」引用。

「「ねえあなた、生むことが罪になるって人もいるのよ」。愛することが罪だなんて……。」

もちろん、これは差別でしかない。罪があるのは、こんな原発を推進した者たちである。

核シェルターも役に立たない……。下「」引用。

「ぼくらは核戦争にそなえ、核シェルターを建設した。原子から身をかくそうとした、弾丸の破片から身をかくすように。ところが、それはそこらじゅうにあるんです。パンのなか、塩のなかに。ぼくらは放射能を吸い、放射能を食べている。-略-」

なぜか? 竹中さんを思い出した……。下「」引用。

「「キエフ旅行社はチェルノブイリ市と死に絶えた村へのご旅行をおすすめします。もちろん代金をいただきます。核のメッカへようこそ」『ナパート』紙 一九九六年二月」

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1 コメント

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起こるべくして起こってしまいました。 (とと)
2011-03-19 21:03:02
 通りすがりで失礼します。。

 この本を読むと、あの地が今、現代のエデンとなってしまった事を理解できると思います。まさに「知っている」ことによって、僕らはあの土地に入れない。

 脆弱な我々の文明と違って、(人も含めて)自然は驚くほど荒々しく優美で、残酷でタフです。

 他人の未来や命も含めて、全てを失う覚悟があるならいい。でも、その気がないなら、死に金を使って博打を打ってはいけないと思う。まして今自分達が賭けているものは、我々の物ではないのだから。未来の命を死神に切り売りしてまで、現在の利便性は守られるべきなのか。

 福島の事故が、一刻も早く収束する事を願いますが、少なくとも数ヶ月は、炉心や燃料棒を冷やし続けなければならないでしょう。

 低線量の被曝が蓄積されないうちに、80km以内の住人は、避難を進めた方が無難な気がします。

 まだまだこれから、水と土地の汚染、生体濃縮、内部被曝と厄介な連鎖は続いていきます。

 この本が日本の教訓とならなかった事を、防げたはずの未来を選んでしまう愚かさを、悔やまれずに入られません。。
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