磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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文藝春秋 2011年7月号

2012年07月29日 | 読書日記など
『文藝春秋 2011年7月号』
   木俣正剛・編/文藝春秋2011年

特集名 大研究 悔いなき死



「戦艦大和と福島原発 あの戦争から変わらない日本人の弱点」半藤一利、他・対談。下「」引用。

「戸高 「原発は絶対安全」という発想はす、「戦艦大和は絶対沈まない」という発想と同じです。日本人の技術意識には、完璧を求める傾向が強くあって「大和自身の持つ四十六センチ砲弾の直撃に耐え得る戦艦をつくれ」というとんでもない要求を、設計者は計算上はクリアしてしまう。それはすごいことなんですが、「完璧だ」となった瞬間に、そこを破られたときのことを考えなくなる。一方でアメリカなどの戦艦の防御思想は、一定以上の打撃を受ければ、損害を受けるのは当然と考えて、蒙った損害が広がらなような設計上の対応をとり、乗組員による被害対応の訓練をしていた。日本も訓練はしていましたが、徹底してなかった。」

「福島原発とカダルカナル」 下「」引用。

「原子炉を冷やすのに、事故発生直後からいろいろあったにせよ、ようやく五日後に自衛隊のヘリが飛んで、それから機動隊の放水車が行って、東京消防庁のハイパーレスキューが行って、と五月雨式に投入されました。あれ、ガタルカナルですよね?」
半藤 まさしく「戦力の逐次投入」のいい見本です。」

目次

【浪江町】「忘れられた町 救援や報道もこない町がある 原発の異変--浪江町には何の連絡もなかった」江川紹子。下「」引用。

「それは、あまりにも異様な光景だった。目の前には町並みが広がっているのに、人も車も、動くものが何もない。そして、あまりに静かだ。東京電力福島第一原子力発電所から十キロ圏内にある福島県浪江町の繁華街は、まるで住民が一斉に神隠しにあったようなゴーストタウンだった。
 私が、原発事故の影響で人々が避難している地域を訪れたのは、一帯が警戒区域に設定される数日前だった。-略-」

「伝えられなかった第一報」 下「」引用。

「この時点で、原発は全電源を喪失。原子炉の冷却機能を失い、一号機では炉心溶融が始まっていた。しかし、馬場町長らは原発の異変を知らなかった。事故の場合には、周辺市町村に非常招集がかかり、浪江町からは上野晋平副町長が大熊町にある原子力安全・保安院のオフサイトセンター(緊急事態応急対策拠点施設)に駆けつけて協議することに決まっていたが、何の連絡もなかった。電話など通信網が寸断されていたこともあったが、第一、第二原発の立地町には東電のスタッフがいち早く駆けつけたのに、浪江町にはそういう対応もなされなかったのだ。」

唯一の情報源・テレビ。下「」引用。

「浪江の人々が、津島地区に避難している間、唯一の情報源であるテレビは、原発、とりわけ三号機の以上を盛んに伝えていた。十四日の昼前には、三号機は大きな爆発を起こした。-略-
 しかし、馬場町長は信じられなかった。
「危ない。こうなったら三十キロ圏外に出よう」」

「町長と市長だけの決定」 下「」引用。

「十五日午前四時半、災対本部の会議を開いて決断を伝えた馬場町長は、町議会議長、教育委員長を連れて二本松市に向かった。市役所の市長室を訪れると、三保恵一市長にアポなしの急な訪問を詫び、こう切り出した。
「緊急避難をせざるを得なくなりました。今日の夕方までに、二本松市で受け入れていただきたい。人数は最大で一万人。贅沢は言いません。雨風がしのげれば……」
 三保市長は即答した。
「安心していただきたい。二本松市として引き受けます」

「震度3でも大津波発生」 下「」引用。

「一八九六年の明治三陸地震は、震度二~三と揺れが小さかったため避難する人が少なく、北海道から宮城まで襲来した津波によって二万二千人の死者を出しました。東日本大震災と同じ三十八メートルに及ぶ津波遡上高も観測されています。」







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