磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

戦争と平和」少年少女の記録10 よみがえるふるさと-平和な国を築く-

2009年02月15日 | 読書日記など
『「戦争と平和」少年少女の記録10 よみがえるふるさと-平和な国を築く-』
   秋山正美・編/日本図書センター1993年

三冊分が収録……。下「」引用。

「この巻の収録作品 下中弥三郎編「綴方風土記」
第五巻 関西編(左)、第六撒き 瀬戸内・四国編(中)、第七巻 北陸・参院編(右)1953~54年 平凡社」

--原爆に関することがいくつか書かれてありました……。



マッカーサーラインというがあったそうです。下「」引用。

「マッカーサーラインとやらって、うるさいもんだのう、-略-」

質屋をはじめたという……。下「」引用。

「ぼくの家は、長兄が復員せず、生活のみちをひとらくために、母の提案で質屋をはじめました。もとでは、もよりのしたしい者や兄たちの手でだされたので、たいへんほそぼそとしたものです。しかし、相手のお客さんたちは、ゆたかな人ではありません。その日その日の生活というよりも、その日のたべることだけにあくせくして生きてゆく、日本の下層階級の代表的人物がくるのです。ところで、質屋とはどんなところか。日本人のいっぱんは、これをけいべつしているようにおもわれます。しかし、下層階級の人にとって、これほどべんりな銀行もありません。」

質屋より、ディスカウントの店の方が安かった……。
それ以来、見にも行ってないです……。
--ネットのオークションもありますし……。

戦争で山も……。下「」引用。

「大水で毎年いく回もあったが、ぼくの知っているのでとくに大きかったのは、昭和二十三年の大水で、今おもいだしてもおそろしくなるほどだ。
 そのころは、戦争で木をたくさん切ったためであろう。-略-」

「原爆後の広島」という作文。下「」引用。

「昭和二十一年七月、ぼくたちは満州から引きあげて広島へ来た。いちめんのかわら、ところどころにたっているバラック、まどガラスのないビル、川のまん中できれている橋、あらゆるものが原子ばくだんのおそろしさを物語っていた。-略-」

「おそろしい原子爆弾」……。下「」引用。

「それからまもなく、わたしとおとうちゃんと二人で、おにいちゃんのほねをさがしにいった。-略-おにいちゃんのほねはどれか、わたしにはわからなかった。」

小学校二年生のバレー(踊り)を習う女の子の詩がありました。
--先生の首や手にはケロイドがあったという……。

呉市も名称だけは……。下「」引用。

「呉市も、平和都市転かん法が、国会を通過し、平和な産業都市になる、とよろこんでいた。ところが、実際上は国連軍の軍事基地だ。」

「戦争で貿易がへっていく」
--いっぱんの産業の貿易を書いている。
マスコミのジャーナリストという人たちは、戦争で景気がよくなるとバカなことをいっていますね。
--人殺ししてでも、景気をよくしたい人たちがいますね。
彼らのことを、教養ある野蛮人といいます。

全人類……。下「」引用。

「原子爆弾を二度とくり返すなという教訓には、アメリカ人だけでなく、全人類の深い反省と未来への平和への願いが込められているのです。」

早くファシストたちが、人類にもどってほしいものですね。

彼等が民主主義のわけがありません!




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