磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ナガサキのあゆみ(合本)1988&87

2008年11月04日 | 読書日記など
『ナガサキのあゆみ1988』
    財団法人 長崎平和推進協会1988年

この本はカラーなど豊富です。お金がかかっている感じがします。

「設立の意義」が書かれてあります。下「」引用。

「 原子爆弾の惨禍をもって体験した長崎市民は、国境を越え、人権を越え、考え方の相違を乗り越えて、全世界に向って恒久平和の実現を訴える責務があります。
 全ての社会秩序の根幹は平和であり、平和でなければ、文化の向上も、科学の進歩も、経済の発展も望めません。しかし、現実の世界情勢は、核兵器の増加と拡散が、また局部的な紛争や東西間の緊張がとどまることなく続いています。
 長崎市は、人類史上最後の被爆地でなければなりません。長崎市民は、全人類的な視野に立って、人類の福祉に貢献することが必要であると考えます。」


会長 本島等
理事長 秋月辰一郎 聖フランシスコ病院医師
理事 市丸道人 長崎大学医学部教授
理事 鎌田定夫 長崎総合科学大学教授

これまで、長崎の平和活動に貢献されてきた方たちの名前がいっぱいあります。


また、木下恵介の講演。下「」引用。

「昭和58年2月12日 平和会館ホール
 講師 木下恵介氏(映画監督)
 テーマ 「映画『この子を残して』を製作して」」


『この子を残して』木下惠介監督作品


遠藤周作や、永井隆の娘さんである筒井茅乃さんの講演などもあったようです。


バチカン原爆展が書かれありました。下「」引用。

「昭和59年5月、駐日バチカン大使が長崎市を訪問した際、バチカン市国での原爆展開催を提唱しました。」

昭和60年9月11日、ローマ法王出席のもと開会式があったそうです。

当時「長崎如己の会」代表者は秋月辰一郎さんだったようです。



『ナガサキのあゆみ1987』
    財団法人 長崎平和推進協会1987年

この本を出しておられる財団法人長崎平和推進協会は、長崎国際文化会館内に住所があるようです。



設立の理由が書かれてありました。下「」引用。

「 長崎市は、原爆被災都市長崎の使命として、従前から長崎市の固有事務として各種の平和推進のための施策を行ってきました。
 しかし、行政独自では種々のあい路があるところから、この施策をさらに効果的に施行するために、昭和58年2月、広く市民の参加を求め、官民一体となった任意団体長崎平和推進協会を発足させ、被爆体験の継承をはじめ、平和に対する意識高揚のための事業に取り組んでまいりました。
 長崎市民の悲願である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現という究極の理念達成のためには、さらに確固たる目的をもって永続性のある公益性の高い平和推進体制を樹立し、文化を基調とした事業を通じて、幅広い見識と高い知性と国際感覚に優れた市民を育成することが望まれます。」

原爆映画フィルム・写真パネルの貸し出しをされているようです。


平和文庫「秋月文庫」というのが開設されたことが書かれありました。下「」引用。

「昭和59年5月に当協会の理事長である秋月辰一郎氏より、約千点にのぼる原爆・平和に関する図書を、「秋月文庫」として当協会に寄託されたのを契機として、平和ライブラリー構想を実現するため昭和58年度より図書の分類・整理を始めました。さらに、蔵書内容を充実させるため、新規購入のものや寄贈を受けたものを含めて整備しました。
 昭和60年8月3日、長崎国際文化会館6階に図書室を開設し、一般に公開することにしました。」


また、この会ではボランティア通訳の育成などもされているようです。

単なる平和だけでなく、開港400年の歴史をもつ長崎の観光・文化も的確に紹介することのできるボランティア通訳を養成されているとか……。

また、アキバ・プロジェクトにも協力されているようです。

昭和58年7月19日、スイスのジュネーブで国連主催、本島市長出席され、平和を訴えられたという。








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