『この命尽きるとも-被爆者として語り部として-』
高橋昌子・著/青風舎2011年
帯に書かれてあります。下「」引用。
「被爆者として苛酷な人生をたたかった前半生、平和の語り部として訴えつづけてきた後半生。82年の人生を語り尽くした感動の書。」
肥田舜太郎「『この命尽きるとも』発刊に寄せて」 下「」引用。
「高橋昌子さんの自分史の巻頭にひと言書いてほしいと乞われ、二十年以上、埼玉県の被爆者運動を一緒にしてきた高橋さんのことを、いざ、書くとなると、過去のことは何も聞かされていないことに気がついた。生半可で書くより、彼女を苦しめた原爆被害の真相と、被爆者運動について書く方が高橋さんの自伝に相応しいと思い、拙文を綴った。自伝を読む方の参考になれば幸いである。-略-」
体内被爆を神経衰弱などにされた……。下「」引用。
「この被爆は火傷もケロイドもなく、出血や紫斑や脱毛の急性症状で死ぬことはないが、身体がだるくて働けないブラブラ病という慢性症状で苦しみ、何年も先に晩発症状の癌や白血病で死ぬもの多かった。悪いことに日本を占領したアメリカ軍が、「体内に入った放射線(*放射性物質)は微量だから人体には無害」と宣伝したため、実際に苦しんだ被爆者は、神経衰弱とか仮病とか言われて余計、苦しむことになった。」
活動……。下「」引用。
「一九八一年から二○○五年までの二十五年間は決して短くない年月である。その間、会計の実務処理、理事会その他の会議の準備、行事や行動に参加する会員の手配、被団協新聞、しらさぎ会便りの発送作業の手配、事務所を訪ねる会員や他団体の訪問者への応対、絶えずかかってくる会員からの相談電話など、休む間もなく雑然と続く事務所活動を高橋さんは黙々とこなされてきた。-略-」
「福島原発の放射能漏洩の危険を思う」 下「」引用。
「原発にもともと安全はあり得ない。人間が制御できない放射線を、毎日、綱渡りのように危険な操作で運転するので、事故が起きない方が不思議なのである。安全神話は天才的な詐欺師の創作なのか、欺かれた国民が度はずれのお人よしなのかもしれない。」
心配している肥田医師。下「」引用。
「現在の医師は当時の被爆者を診察した経験がなく、内部被曝は無害と教えられているので、これから起こるかもしれないヒバクシャのブラブラ病様症状に対し、敗戦当時の医師たちのように「病気はない」と診断する可能性が高い。政府自身も、放射線とは無関係と公表する可能性も否定できない。いろんな意味で今後のヒバクシャの体調を心配している医師の一人である。」
index
特攻の教官だった夫。下「」引用。
「夫は崇徳中学校を卒業して少年航空隊学校に入り、パイロットとして腕を磨きました。やがて将校、教官になり、金鵄勲章を二つもらいましたが、しだいしだいに特攻隊の若者を死地に送り出す日々に心が荒れていき、酒と女でやり場のない気持ちを紛らわしていたと言います。こうして培われた生活が、敗戦と同時に百八十度変わるはずもなく、ごくごく普通の人の考え方になじめるはずもありません。わたしと所帯を持っても、貧乏生活に耐えられませんでした。嬉し楽しのはずの新婚生活は初めから波乱含みの荒れたものになっていきました。」
index
そして結核と妊娠……。
幸恵さんに助けてもらう。
ABCCの2人の米国人が出産3日後にやってきたという。下「」引用。
「わたしと赤ん坊の腕から血液を採取していきました。何か英語で言って、枕元に化粧石鹸を一つ置いてきました。何がなんだか分からないうちに採取は終わり、逆らうこともできませんでした。」
index
杉並区の特定の党派の運動ではない、日本初の原水禁運動のことが書かれてありました。特定の党派の人たちが、これを壊してしまいました。そして、今も平和をカードに、構造的暴力を平和運動にももってきています。
手帳と再婚した夫の驚きの言葉……。下「」引用。
「よく分からないまま埼玉県庁原爆課を訪ねると、「被爆した方ですね。審査のうえ手帳をご自宅に送ります」とあっさり言われました、自覚がないのに自分が被爆していたとは、狐につままれたような思いでした。
四月中旬、その原爆手帳が送られてきました。表紙に〈被爆者健康手帳〉とあって、被爆直後の行動として「おおむね二週間以内」、被爆地「広島市材木町」とありました。その手帳を見て夫ら顔色が変りました。
「広島出身はわかっていたが、被爆していたとはなあ。ひと言も聞いてなかったからせ。その手帳を持っていると医療費が無料になるんだ。税金泥棒だよ、ぼくはそういうのが嫌いだなあ」
被爆者はなぜ税金泥棒なのか。なぜそのような考え方をするのか。被爆者をそのように見ている夫に驚きました。」
他人の不幸を考えぬのはいるが、妻の不幸まで考えないのか……。
他人の不幸もまわりまわって、我が身となるというのに……。
妻が不幸では夫も幸福でいられるはずがないのに……。
著者の父は膵臓ガンで亡くなる。父は「六・九平和運動」をしていたという。
--引き継ぐ著者……。
「平和運動へ」そして肥田舜太郎と出会う。
ミホ・シボさん。下「」引用。
「パリではフランス平和運動全国評議会の方々、平和運動家の方々と交流会を持ちました。その中にミホ・シボさんご夫妻がおられしまた。ご主人はマラコフ市の助役で、奥さんは日本人。ミホさんというのが日本人の奥さんのお名前でした。お二人の力でフランスでの交流会が実現したということでした。お人形さんのような二人のお子さんも一緒でした。-略-」
「福島第一原発の放射線漏洩--被爆者は訴える」
マッカーサーと同様……。下「」引用。
「次に起きたことは、漏洩した放射線は微量だから人体への影響はほとんどない、周辺住民の避難は万が一の処置である云々でした。ああ始まったな、と思いました。被害や影響を低く発表し、保身を図る構図です。マッカーサー将軍が広島・長崎での内部被爆を「微量だから人体に影響はない」と言ってその後の施策を誤らせ、日本政府もその言に追随していっそう被害を大きくしていったあの轍をまたも踏もうとしているのです。-略-」
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高橋昌子・著/青風舎2011年
帯に書かれてあります。下「」引用。
「被爆者として苛酷な人生をたたかった前半生、平和の語り部として訴えつづけてきた後半生。82年の人生を語り尽くした感動の書。」
肥田舜太郎「『この命尽きるとも』発刊に寄せて」 下「」引用。
「高橋昌子さんの自分史の巻頭にひと言書いてほしいと乞われ、二十年以上、埼玉県の被爆者運動を一緒にしてきた高橋さんのことを、いざ、書くとなると、過去のことは何も聞かされていないことに気がついた。生半可で書くより、彼女を苦しめた原爆被害の真相と、被爆者運動について書く方が高橋さんの自伝に相応しいと思い、拙文を綴った。自伝を読む方の参考になれば幸いである。-略-」
体内被爆を神経衰弱などにされた……。下「」引用。
「この被爆は火傷もケロイドもなく、出血や紫斑や脱毛の急性症状で死ぬことはないが、身体がだるくて働けないブラブラ病という慢性症状で苦しみ、何年も先に晩発症状の癌や白血病で死ぬもの多かった。悪いことに日本を占領したアメリカ軍が、「体内に入った放射線(*放射性物質)は微量だから人体には無害」と宣伝したため、実際に苦しんだ被爆者は、神経衰弱とか仮病とか言われて余計、苦しむことになった。」
活動……。下「」引用。
「一九八一年から二○○五年までの二十五年間は決して短くない年月である。その間、会計の実務処理、理事会その他の会議の準備、行事や行動に参加する会員の手配、被団協新聞、しらさぎ会便りの発送作業の手配、事務所を訪ねる会員や他団体の訪問者への応対、絶えずかかってくる会員からの相談電話など、休む間もなく雑然と続く事務所活動を高橋さんは黙々とこなされてきた。-略-」
「福島原発の放射能漏洩の危険を思う」 下「」引用。
「原発にもともと安全はあり得ない。人間が制御できない放射線を、毎日、綱渡りのように危険な操作で運転するので、事故が起きない方が不思議なのである。安全神話は天才的な詐欺師の創作なのか、欺かれた国民が度はずれのお人よしなのかもしれない。」
心配している肥田医師。下「」引用。
「現在の医師は当時の被爆者を診察した経験がなく、内部被曝は無害と教えられているので、これから起こるかもしれないヒバクシャのブラブラ病様症状に対し、敗戦当時の医師たちのように「病気はない」と診断する可能性が高い。政府自身も、放射線とは無関係と公表する可能性も否定できない。いろんな意味で今後のヒバクシャの体調を心配している医師の一人である。」
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特攻の教官だった夫。下「」引用。
「夫は崇徳中学校を卒業して少年航空隊学校に入り、パイロットとして腕を磨きました。やがて将校、教官になり、金鵄勲章を二つもらいましたが、しだいしだいに特攻隊の若者を死地に送り出す日々に心が荒れていき、酒と女でやり場のない気持ちを紛らわしていたと言います。こうして培われた生活が、敗戦と同時に百八十度変わるはずもなく、ごくごく普通の人の考え方になじめるはずもありません。わたしと所帯を持っても、貧乏生活に耐えられませんでした。嬉し楽しのはずの新婚生活は初めから波乱含みの荒れたものになっていきました。」
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そして結核と妊娠……。
幸恵さんに助けてもらう。
ABCCの2人の米国人が出産3日後にやってきたという。下「」引用。
「わたしと赤ん坊の腕から血液を採取していきました。何か英語で言って、枕元に化粧石鹸を一つ置いてきました。何がなんだか分からないうちに採取は終わり、逆らうこともできませんでした。」
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杉並区の特定の党派の運動ではない、日本初の原水禁運動のことが書かれてありました。特定の党派の人たちが、これを壊してしまいました。そして、今も平和をカードに、構造的暴力を平和運動にももってきています。
手帳と再婚した夫の驚きの言葉……。下「」引用。
「よく分からないまま埼玉県庁原爆課を訪ねると、「被爆した方ですね。審査のうえ手帳をご自宅に送ります」とあっさり言われました、自覚がないのに自分が被爆していたとは、狐につままれたような思いでした。
四月中旬、その原爆手帳が送られてきました。表紙に〈被爆者健康手帳〉とあって、被爆直後の行動として「おおむね二週間以内」、被爆地「広島市材木町」とありました。その手帳を見て夫ら顔色が変りました。
「広島出身はわかっていたが、被爆していたとはなあ。ひと言も聞いてなかったからせ。その手帳を持っていると医療費が無料になるんだ。税金泥棒だよ、ぼくはそういうのが嫌いだなあ」
被爆者はなぜ税金泥棒なのか。なぜそのような考え方をするのか。被爆者をそのように見ている夫に驚きました。」
他人の不幸を考えぬのはいるが、妻の不幸まで考えないのか……。
他人の不幸もまわりまわって、我が身となるというのに……。
妻が不幸では夫も幸福でいられるはずがないのに……。
著者の父は膵臓ガンで亡くなる。父は「六・九平和運動」をしていたという。
--引き継ぐ著者……。
「平和運動へ」そして肥田舜太郎と出会う。
ミホ・シボさん。下「」引用。
「パリではフランス平和運動全国評議会の方々、平和運動家の方々と交流会を持ちました。その中にミホ・シボさんご夫妻がおられしまた。ご主人はマラコフ市の助役で、奥さんは日本人。ミホさんというのが日本人の奥さんのお名前でした。お二人の力でフランスでの交流会が実現したということでした。お人形さんのような二人のお子さんも一緒でした。-略-」
「福島第一原発の放射線漏洩--被爆者は訴える」
マッカーサーと同様……。下「」引用。
「次に起きたことは、漏洩した放射線は微量だから人体への影響はほとんどない、周辺住民の避難は万が一の処置である云々でした。ああ始まったな、と思いました。被害や影響を低く発表し、保身を図る構図です。マッカーサー将軍が広島・長崎での内部被爆を「微量だから人体に影響はない」と言ってその後の施策を誤らせ、日本政府もその言に追随していっそう被害を大きくしていったあの轍をまたも踏もうとしているのです。-略-」
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