『電力と国家 集英社新書 0613』
佐高信・著/集英社2011年
表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「軍部と革新官僚が手を結び、電力の国家統制が進んだ戦前、「官吏は人間のクズである」と言い放って徹底抗戦した“電力の鬼”松永安左エ門「原爆の洗礼を受けている日本人が、あんな悪魔のような代物を受け入れてはならない」と原発に反対した木川田一隆など、かつて電力会社には独立自尊の精神を尊び、命を賭けして企業の社会的責任を果たそうとする経営者がいた。フクシマの惨劇を目の当たりにした今こそ、我々は明治以来、「民vs.官」の対立軸で繰り返されてきた電力を「私益」から解きは放たねばならない。この国に「パブリックの精神」を取り戻すところから、電力の明日を考える。」
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【水俣病・自殺】山内豊徳。下「」引用。
「私は、現代の官僚には自殺する官僚と腐敗する官僚しかいない、と書いたことがある。もちろん極論だが、たとえば水俣病の患者への補償の問題は板ばさみとなり自殺した、環境庁(当時)企画調整局長の山内豊徳のような官僚はほとんど一割にも満たない存在であり、「ノーパンしゃぶしゃぶ」等のスキャンダルにまみれた大蔵(現財務)官僚のような腐敗官僚が多くを占める。」
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ナチスドイツをまねた……。下「」引用。
「私は第一章の表題を「国家管理という悪夢」としたが、かつて戦争を遂行するために軍部といわゆる革新官僚が手を結んで、電力の国家管理(電力国管)を強行したことがあった。電力が民間企業では戦争のための統制がやりにくかったからである。これはナチスドイツの「動力経済法」をマネしたものだったが、ほぼ同時に成立した国家総動員によって、当時の大日本帝国は電力の消費規制を実施する。
言うまでもなく、当時は「お国のため」の戦争が最優先だった。民間の消費は削減され、企業活動に要する電力は統制された。-略-」
「革新官僚たちが作った「電力国家管理法案」とは何かといえば、一九三五年にナチスの作ったエネルギー事業法のコピーなのである。正しくは「動力経済法」と呼ばれるものだが、これこそ戦争を遂行するためのナチスのエネルギー・コントロールに他ならない。」
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平岩外四の罪。下「」引用。
「いずれにせよ、勲章などというものは、国が民間をコントロールするために使う道具に過ぎない。そんなものを受け取ってしまった平岩には、松永安左エ門や木川田隆が主張し続けた「国家を電力に介入させず」という理念など、過去の遺物に過ぎなかったのだろう。
しかし、今、一○万人以上の国民が故郷を失い、放射能に脅えながら路頭に迷っている。この責任は誰にあるのか。東京電力を反省のブレーキなき企業にさせてしまった平岩の罪は大きい。役所および国と一体となり、役所の邪悪なところと民間企業の邪悪なところとを合体させ、役所以上と役所的権力を操る東京電力という怪物をつくりあげてしまった。」
「平岩外四の変質」 下「」引用。
「私は第一章に、東電の変質は平岩外四から始まったと書いた。だが、なぜ平岩は官と闘った創業者の精神を受け継ぐことができなかったのか。-略-なぜ木川田精神を裏切るような経営方針に切り替えてしまったのか。電力会社が原発という悪魔を抱えたせいなのか。あるいは、独占企業の傲慢さがそうさせたのか。いずれにせよ、福島第一原発の過酷な事故は、平岩に端を発していると私は見る。」
別の東電があったという。下「」引用。
「世にいう「電力戦争」の始まりだ。松永の東京進出を迎え撃ったのが東京電燈で、松永は群馬電力と早川電力を合併させた東京電力(東邦電力の子会社で、現東京電力とは別会社)を盾に攻勢に出た。三井財閥の池田成彬の仲介によって、昭和二年に「東電・東力戦争」と呼ばれた覇権争いは収束を見て、新会社、東京電燈が発足。-略-」
福島出身の東大教授・高橋哲哉。下「」引用。
「-略-八月一五日に開かれた市民文化フォーラムで、卓越な問題提起をしている。
高橋は原発が「犠牲のシステム」だとし、事故は「想定外」ではなく、想定されたからこそ福島県沿岸部につくられたと強調する。つまり、原発は立地先の地方住民の犠牲なしには成り立たない構造的差別に立脚しているというわけである。
彼は犠牲のシステムを次のように要約する。
「ある者たちの利益が他の者たちの生活や生命、健康、日常、財産、希望などを犠牲にし生み出され維持される。犠牲にする者の利益は犠牲にされる者の犠牲なくしては生み出されないし、維持されない。この犠牲は通常に隠されているか、共同体にとっての尊い犠牲として正当化される」
東京もホットスポットができたり、水道水に問題がでたり、食料の問題も……。原発推進は国民投票で決めたわけではない。都会の者たちが全員が加害者でもないし、福島の人すべてが単なる被害者ではないと思う。佐藤栄佐久は、原発推進だったことも事実だろう。その反省はしていないとボクは考える。
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目 次
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佐高信・著/集英社2011年
表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「軍部と革新官僚が手を結び、電力の国家統制が進んだ戦前、「官吏は人間のクズである」と言い放って徹底抗戦した“電力の鬼”松永安左エ門「原爆の洗礼を受けている日本人が、あんな悪魔のような代物を受け入れてはならない」と原発に反対した木川田一隆など、かつて電力会社には独立自尊の精神を尊び、命を賭けして企業の社会的責任を果たそうとする経営者がいた。フクシマの惨劇を目の当たりにした今こそ、我々は明治以来、「民vs.官」の対立軸で繰り返されてきた電力を「私益」から解きは放たねばならない。この国に「パブリックの精神」を取り戻すところから、電力の明日を考える。」
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【水俣病・自殺】山内豊徳。下「」引用。
「私は、現代の官僚には自殺する官僚と腐敗する官僚しかいない、と書いたことがある。もちろん極論だが、たとえば水俣病の患者への補償の問題は板ばさみとなり自殺した、環境庁(当時)企画調整局長の山内豊徳のような官僚はほとんど一割にも満たない存在であり、「ノーパンしゃぶしゃぶ」等のスキャンダルにまみれた大蔵(現財務)官僚のような腐敗官僚が多くを占める。」
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ナチスドイツをまねた……。下「」引用。
「私は第一章の表題を「国家管理という悪夢」としたが、かつて戦争を遂行するために軍部といわゆる革新官僚が手を結んで、電力の国家管理(電力国管)を強行したことがあった。電力が民間企業では戦争のための統制がやりにくかったからである。これはナチスドイツの「動力経済法」をマネしたものだったが、ほぼ同時に成立した国家総動員によって、当時の大日本帝国は電力の消費規制を実施する。
言うまでもなく、当時は「お国のため」の戦争が最優先だった。民間の消費は削減され、企業活動に要する電力は統制された。-略-」
「革新官僚たちが作った「電力国家管理法案」とは何かといえば、一九三五年にナチスの作ったエネルギー事業法のコピーなのである。正しくは「動力経済法」と呼ばれるものだが、これこそ戦争を遂行するためのナチスのエネルギー・コントロールに他ならない。」
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平岩外四の罪。下「」引用。
「いずれにせよ、勲章などというものは、国が民間をコントロールするために使う道具に過ぎない。そんなものを受け取ってしまった平岩には、松永安左エ門や木川田隆が主張し続けた「国家を電力に介入させず」という理念など、過去の遺物に過ぎなかったのだろう。
しかし、今、一○万人以上の国民が故郷を失い、放射能に脅えながら路頭に迷っている。この責任は誰にあるのか。東京電力を反省のブレーキなき企業にさせてしまった平岩の罪は大きい。役所および国と一体となり、役所の邪悪なところと民間企業の邪悪なところとを合体させ、役所以上と役所的権力を操る東京電力という怪物をつくりあげてしまった。」
「平岩外四の変質」 下「」引用。
「私は第一章に、東電の変質は平岩外四から始まったと書いた。だが、なぜ平岩は官と闘った創業者の精神を受け継ぐことができなかったのか。-略-なぜ木川田精神を裏切るような経営方針に切り替えてしまったのか。電力会社が原発という悪魔を抱えたせいなのか。あるいは、独占企業の傲慢さがそうさせたのか。いずれにせよ、福島第一原発の過酷な事故は、平岩に端を発していると私は見る。」
別の東電があったという。下「」引用。
「世にいう「電力戦争」の始まりだ。松永の東京進出を迎え撃ったのが東京電燈で、松永は群馬電力と早川電力を合併させた東京電力(東邦電力の子会社で、現東京電力とは別会社)を盾に攻勢に出た。三井財閥の池田成彬の仲介によって、昭和二年に「東電・東力戦争」と呼ばれた覇権争いは収束を見て、新会社、東京電燈が発足。-略-」
福島出身の東大教授・高橋哲哉。下「」引用。
「-略-八月一五日に開かれた市民文化フォーラムで、卓越な問題提起をしている。
高橋は原発が「犠牲のシステム」だとし、事故は「想定外」ではなく、想定されたからこそ福島県沿岸部につくられたと強調する。つまり、原発は立地先の地方住民の犠牲なしには成り立たない構造的差別に立脚しているというわけである。
彼は犠牲のシステムを次のように要約する。
「ある者たちの利益が他の者たちの生活や生命、健康、日常、財産、希望などを犠牲にし生み出され維持される。犠牲にする者の利益は犠牲にされる者の犠牲なくしては生み出されないし、維持されない。この犠牲は通常に隠されているか、共同体にとっての尊い犠牲として正当化される」
東京もホットスポットができたり、水道水に問題がでたり、食料の問題も……。原発推進は国民投票で決めたわけではない。都会の者たちが全員が加害者でもないし、福島の人すべてが単なる被害者ではないと思う。佐藤栄佐久は、原発推進だったことも事実だろう。その反省はしていないとボクは考える。
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