磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

ヒロシマ・25年 広島の記録3

2008年03月13日 | 読書日記など
『ヒロシマ・25年 広島の記録3』
   中国新聞社・編/未来社1971年、1975年

その当時に語られなかったことも、後に知ることもありますね。25年はしかし人の人生では長い期間ですね。しかし、ヒロシマを伝えていくには短い期間であったかもしれない……。



--キューバ危機のことが書かれてありました。
ソ連側のことしか書かれていない。アメリカがヨーロッパでしたことは書かれていない。
どちらかといって、先に手を出したのはアメリカでは?


吉田内閣は平和憲法下にもかかわらず「協力」したという。下「」引用。

「「第五福竜丸」の乗組員が、三たび核の犠牲になったにもかかわらず、当時の吉田内閣は「実験協力」を表明した。」

中国の影は無気味ではあるが、中国にも平和主義の人はいることも忘れてたくはありません。

井伏鱒二の作品のことも書かれてありました。下「」引用。

「ここには、あの悲惨な異常事を語ろうとする気負いはほとんど感じられない。いわば徹底した平常心である。「作者の井伏氏が被爆者ではなかったからだ」という見方もある。」

高級ワインを飲むように文学を語る人たちがいますね。
そんな態度で現実が把握できるのでしょうか?


日本映画社の記録映画撮影班、MPにつかまる。下「」引用。

「正確には、十月二十四日。長崎市の浦上天主堂近くの爆心地点で、カメラマンが、パトロール中の米軍MPにつまかるという事件が起きた。
 その日、広島から長崎へ移った相原氏は「連絡場所にしていた当時の同盟通信長崎支局で、東京から進駐軍の命により撮影を中止せよ”という一片の電報を受け取り、ぼう然とした」と回顧する。学者の調査も、映画の撮影もやってはならぬという理由が、だれにも納得できない。」


--東京大空襲の写真は公的には33枚しかないという。

3月10日東京大空襲

しかし、広島は残そうとされた……。その違いも考えたいものです。

劇についても25年間のことが書かれてあった。最初だけ。下「」引用。

「原・水爆を扱った作品
   (上演年月、演目、劇団名)
1950年 11月「長崎の鐘」劇団・テアトル・ヘルン」

吉永小百合さんの作品。下「」引用。

「原爆症の青年・渡哲也と吉永小百合の二人が愛情に結ばれるが、二人の幸福はまたたく間にこわされる。日活の純愛路線映画の一つだったが広島の実話に基づくこの映画は、原爆への怒りを強く訴えた作品として興業的にもヒットした。」

【映画】愛と死の記録

音楽についても、同様に。下「」引用。

「被爆一年にも満たない二十一年六月には山田耕筰の「原子爆弾に寄せる譜」が発表されたのを機に、○○音頭、××小うた、歌謡曲にはじまって歌曲、合唱曲、無言歌、レクイエム、組曲、交響曲、合奏曲、交響詩、カンタータ、オペラやさらに邦楽曲など多様な様式でおびただしい作品が誕生した。人間の感情を最も端的に表現できるという音響芸術の特性のだめだろうか。」

index

バレエも。下「」引用。

「広島の惨状をいちはやくバレエの舞台にのせたのは広島市の葉室潔舞踏研究所である。昭和二十一年九月には、山田耕筰作曲の「原子爆弾に寄せる譜」をもとに「原子ばくだん」を発表した。」

色々なテレビ番組も書かれてありました。有線放送やYouTubeにあげていただきたいと思います。

index

YouTubeの場合、最初に短いコマーシャルなどを入れられてはどうでしょうか?








index

目 次





エンタメ@BlogRanking




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。