磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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原爆前後 上下

2008年03月09日 | 読書日記など
『原爆前後 上』
   白井秀雄、相原秀次(編)/朝日新聞社1983年

この本は、『原爆前後』という三菱関連の人たちの文集をまとめたものといっていいかと思います。

帯に書かれあります。下「」引用。

「ナガサキ--1945年8月9日11時2分
爆心地に最も近い長崎兵器・長崎製鋼・三菱重工長崎造船所従業員の被爆体験記と、投下直後から救援をつづけた所員たちによる救援の記録。いま、あらためて、戦争と核兵器の恐さ、残酷差への思いを深くする。」

まずは仲間うちで始ったという。下「」引用。

「私ども三菱重工業長崎造船所関係者有志によって、文集「原爆前後」の発刊が決まったのは、昭和四十三年のことであった。あの原爆、終戦の前後三、四年間に体験したことを、孫にでも書き残すつもりで手記を寄せてもらい、印刷・製本して仲間うちだけに配布しようというのがその趣意である。
 寄稿は予想以上に順調に集まり、あれから十五年後のいまも刊行がつづいている。昭和五十八年四月現在、五十五巻が印刷を終え、寄稿総数六九六編に達した。この間、「原爆前後」は縁あって、朝日新聞社の目にとまり、今回、その一部を抄録したものが公刊されることになった。当初からの世話人の一人であり、十五年間文集の編集に当たってきた僕の立場から、これまでのいきさつについて触れておきたい。」

広島の三菱造船所との関わり。下「」引用。

「広島とのつながりも、この文集の特徴のひとつである。戦時中、広島に建設された広島造船所は、創業の際に長崎造船所から、多数の人びとが応援に出向したまま、被爆、終戦を迎えた。なかには任務を終えて長崎へ帰る直前に広島原爆を受け、ようやくたどりついた長崎でまた原爆を受けた人もいる。広島と長崎とは、三菱重工の場合、職場として密接なつながりを持っていた。」

捕虜と囚人のことも書かれてありました。

カトリック信徒の従業員の文章もありました。

石油ストーブIKASAGANを米軍に造らされたという。



『原爆前後 下』
   白井秀雄、相原秀次(編)/朝日新聞社1983年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「ナガサキ--1945年8月9日11時2分
原爆一発で、ナガサキの町と市内の軍需工場は壊滅した。敗戦必死の中、秘密兵器や船舶・艦艇を造りつづけていた、三菱重工長崎造船所従業員の手記は、今さらながらに、戦争指導者の愚かさと兵器の持つむなしさ、悲しさを考えさせる。」

終戦間際の新兵器開発のことが書かれてありました。

割腹自殺をした中尉。下「」引用。

「呉工廠では魚雷艇建造関係の中尉の人が建造不振の責任で、割腹自殺をされたという折だった。」

そして、終戦の時も割腹自殺。下「」引用。

「このわれわれの佐世保滞在中、機関故障などの時、必用な部品、工具等の借用に便宜を計ってくれたのが工廠の組立工場主任の宇田川中佐、製図工場ディーゼル係の平野技師、組立工場ディーゼル係の山口技師の各氏であった。このうち宇田川中佐は終戦の折、割腹自殺されたよしである。」

山口彊(つとむ)さんの文章もありました。



生かされている命 広島・長崎「二重被爆」、90歳からの証言







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