磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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広島原爆戦災誌 第二巻 第二編各説-第一章広島市内各地区の被爆状況-

2008年12月12日 | 読書日記など
『広島原爆戦災誌 第二巻 第二編各説-第一章広島市内各地区の被爆状況-』
   広島市役所・編/広島市役所1971年

付:焦土広島の全景(1枚)



焦熱地獄さながらだと……。下「」引用。

「驚くことには、どれもこれも素っぱだがである。シュミーズもスカートも焼け、身体はゆでダコのようにあか黒くなっている。ちょうど、海水浴場で裸ん坊の子供らが横たわり、あるいは寝ころび、たわむれて居るのを想像してみる。焦熱地獄をさながら目前に見る。」

桜の名所に逃げたという……。下「」引用。

「白鳥地区内の西寄り地域では、通りかかった兵士に、下敷きになっている人々を助け出してもらったりして、いよいよ火勢の激しくなって来る中を、最も近い川沿いの桜の名所「長寿園」に、まず逃げた者が多かった。」

蚊がいなかったという……。下「」引用。

「ふと誰かが「蚊がいないじゃないか。」と、言い出した。そう云えば、なる程、昼間でもヤブ蚊やブトの襲撃を受けるこのあたりなのに、この畑の中に一匹の蚊もあらわれないのである。蚊も爆撃されて全滅したのであろう。-略-」

「福屋前、電車内にて」有木重雄・著。

「-略-私の声が大きくなる。“ゴメン”“ゴメン”と、運転台まで出た。運転手がブレーキの鉄輪を持ったまま倒れている。勿論、血だらけの黒ん坊である。
 運転台の窓をとび降りた。
 驚いた。車内だけだと思った修羅場が、見渡す限り全面である。-略-」

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こんな淋しい神社のお祭りの写真がありました。


「胡街の胡神社。被爆後初めてのお祭り。(昭和22年11月 林寿麿撮影)」


「移動劇団 さくら隊原爆殉難記(要約)」乃木年雄(俳優・当時珊瑚座長)・著。下「」引用。

「七月三十一日に、桜隊も珊瑚座も全員が厳島に疎開する予定で、荷造りも終わっていたが、桜隊の女優が「厳島の寺は狭くて芝居の勉強もできないうえ、食糧事情も大変よくない。米や野菜の買出しも、船で中国筋へ渡らねばならないから不便、親戚が広島市に近くにいるからそこにあたってみよう。」と言ってゆずらないため、丸山定夫隊長も困って、「とにかく珊瑚座さんだけで一応、厳島へ疎開して下さい。私の方は郊外を今一度探して、もしなかったら厳島へ行きますから……」という。八月一日、やむなく珊瑚座だけが赤星駐在員と食事係の若い婦人と計一一人、在光寺に移った。」

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キリンビールの出張所では進駐軍も買っていたという……。下「」引用。

「八月下旬から九月初めにかけて、横川町三丁目の信用組合の周辺に、主として食べ物の闇市ができた。福島町あたりから牛の臓物などが売り出されたのも、この頃のことである。
 横川には、戦前からキリンビールの出張所があったが、そこで午前午後の各一時間ぐらいずつ、ビールの立飲みがはじまり、進駐軍の兵士も罹災者も一緒になってならんだ。」




第二巻 第二編各説 【PDF】










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