磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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人間発見の旅-アンネ・フランクからアウシュビッツへ-

2009年06月18日 | 読書日記など
『人間発見の旅-アンネ・フランクからアウシュビッツへ-』
   早乙女勝元・編/草土文化1984年

--家族旅行を記録した本である。
早乙女輝(大1)など家族の文章もある。だから、編なのか?



ミニチュアの街が楽しみだったという……。下「」引用。

マドローダムのミニチュアの街。これが、私が一番楽しみにしていた見学である。」

アンネの隠れ家もあるという。

「白バラ」についても書かれてありました。下「」引用。

「さて、次に平和学習の続きとしてダッハウ・ナチ強制収容所と、ミュンヘン大学で「白バラ」という名の学生抵抗グループの展示会を見学した。ダッハウ収容所は、先にアウシュビッツを見ているからだろうか。少し整理されすぎてしまっているようだった。展示物も少ないし、当時の建物もほとんど残っていない。ただ一つ、残っていたと思われるものは未完成のままのガス室に焼却炉、生体実験が行われた場所などである。
 ミュンヘン大学の「白バラ」グループの展示会も、あっけないとり組みだった。「白バラ」グループのことについては、この旅の何日か前に映画で見たので、少し知っていた。要するにショル兄弟を中心とした少数の学生たちが、ナチスに反対するためのビラを大学で撒いて捕らえられた、ギロチンで処刑されてしまう。
 これは、考えてみると、ひじょうに恐ろしいことである。ビラを撒いたくらいで処刑されてしまうなどといいうことは、今の時代では考えらない。しかし、日本でも、かつての侵略戦争の時代に、あの治安維持法の下でで、同様の残虐行為が平然と行われていた。日本もドイツもファシズムの嵐が吹き荒れることでは、同じだった。」

しかし、この後、日本でもビラを撒いて逮捕される事件が起きる……。

「白バラ」を忘れない-反戦ビラの過去と今と-

アンネ・ハウス取材……。下「」引用。

「朝九時前から行列をつくっている状態ですが、それを私聞いていましたので、先にちょっと手紙を出しました。なんとか、三十分前に入れてくれませんか。ただ単に、特別たいぐうということではありませんで、もちろんカメラマンも同行し、たっぷり写したり、取材したりして、必ず日本の若い人たちに真実を伝えるから……と伝えましたら、心よく了解してくれました。
 八時三十分、「アンネ・ハウス」の古めかしい玄関ドアが開きました。私たちは、隠れ家へと、ついに足を踏み入れたました。開館九時と同時に、超満員となってしまう状態ですから、押すな押すなの人出では、十三歳から十五歳までのアンネの、おそろしいような孤独な心境は、わかりにくいような気がします。幸い私たちは、ガランとした、だあれもいない密室へと入りました。」

ポーランド出身のゼノさんのことや、コルベ神父のことも書かれてありました。下「」引用。

「ゼノさんは戦後、ヨーロッパからの通信で、コルベ神父の悲愴な死を知った時に、非常に嘆き悲しみ、師に続いて生きる道をかためたのではないでしょうか。その後のゼノさんは、幼い戦争犠牲者ともいうべき、戦災孤児のため献身的な役割をはたしました。隅田川沿岸のアリの街を中心にして、戦災孤児のために献身的な役割をはたしました。-略-」








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