『週刊文春 2012年1月5日 2012年1月12日 新年特大号』
島田真・編/文芸春秋2011年
上杉隆の記事が現実を記録していると考える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/6e/6f38bb3b70107ff65dc7959d98951c97.jpg)
「上杉隆 最後の渾身ドキュメント 隠し続けた90日 福島原発衝撃の真実! 官邸、東電、大メディアの「原罪」」 下「」引用。
「▲枝野官房長官最初から“洗脳”されていた
▲「瑕疵もなけば人災でもない」断定した民主幹部
▲汚染水対策で流した“白い入浴剤”
▲東電清水社長入院のウソほか
まるで『1984』の世界に迷い込んだかのような錯覚。東京電力の記者会見に参加しているとそんな感覚に迷い込んだかのような錯覚。東京電力の記者会見に参加しているとそんな感覚に襲われるという。政府や東電の共通するのは「真実」捻じ曲げようとする権力とそれを追認するメディアの堕落。ジャーナリスト休業直前、上杉氏最後の告発。-略-」
半ばロビーで寝泊まり。下「」引用。
「私は三月十三日から、節電のために暖房の効いていない暗いロビーに半ば寝泊まりし、早朝から深夜まで行われる記者会見に自由報道協会所属のフリー記者らや海外特派員らと参加して、繰り返し、疑問を投げかけていた。
「東電の会見に出続けていると、なんか自分の頭のほうが変になっちゃたかのように感じるんですよね」」
「輪番停電(計画停電)」 下「」引用。
「筆者が最初に東電会見の洗礼を受けたのは、「輪番停電」(当時、のちに計画停電)を発表した日の翌日(三月十四日)のことであった。
震災直後、東京電力は被災地に電気を送るため称して、「輪番停電」の実施を発表した。だが、私にはすぐにこれがプロパガンダであることがわかった。なぜならその発表前、情報源の一人から、
「明日にも原子力発電所の必要性を強調するため、輪番停電を宣言するぞ」
という情報提供を受けていたからだ。
実は、東電管内の十七基の原発をすべて止めても、水・火力発電所の稼働で区内の総電力をまかなえる--という情報を、柏崎刈羽原発事故当時のデータと共に提供されていた。この反論材料をもって、私は東電本店三階出行われる「輪番停電会見」に臨んだ。
その会見で、藤本孝副社長が懸命に電力不足を説明する中、私は輪番停電がそもそも必要のないこと、むしろ震災発生直後の救援の後方支援の必要性からも後方拠点となる東京などに停電を起こすべきではないという論理をぶつけ、こうかぶせた。
「壊れている発電所、修理中のもの、稼働中のもの、検査中のもの、その数をすべておっしゃってください」
これに対し、藤本副社長はしぶしぶこう口を開いた。
「えー、まもなく鹿島の四百四十万キロワットの火力が動き出し……」
その瞬間、斜め隣りに座っていた部下が、藤本副社長の耳元で何かをささやいた。
「いや、失礼。復旧は四月になる見込みということでありまして……」
ここまで続けると、今度はさらに後方に座っている職員からメモが入った。
「訂正させていただきます。鹿島の火力発電所は少なくとも夏まで復旧の見通しが立たず、さらに発電量は三百二十万キロワットの間違いでした」
このやり取りを報じたメディアは、私の知っている限りは一社も無い。むしろ、輪番停電は被災地のために必要なのだという、東電の根拠の薄いデマを広める有様だった。」
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「勝俣会長のお詫び広告発言」 下「」引用。
「なぜ、メディアは事実を報じることができないのか。
それは、勝俣恒久東電会長が初めて会見に登場した際の、私との喜劇的な次のやり取りを見てもらえば理解できるだろう。
上杉「会長にのお伺いします。いま、東電管内の大口事業主などに対しては節電や停電の協力を呼びかけていらっしゃいます。一方で、民間放送など民放テレビには節電すらお願いしていませんね。阪神のときも、柏崎刈羽原発のときも停波するなどテレビは節電に協力しました。なぜ、電力消費量の多い民放テレビさんにはお願いしないんですか?」
勝俣「えっと、あした広告を出します」
上杉「はっ?」
勝俣「明日だな(横の幹部職員に確認を取りながら)。はい、明日、全紙にお詫び広告を出しますから」
勝俣会長の発言を理解できなかった私は、質問の仕方が悪かったのだと思い、もう一度、同じ質問を繰り返した。静まり返る会見場で、勝俣会長の声がマイクヲ通して再び響いた。
「え、はい。テレビ局さんにも広告を出しますから」
それでも意味が取れない私が、勝俣会長の真意を理解したのはその日の夜、情報源からの電話によってだった。
「上杉君、あれ、勝俣さんは君のことを脅していたんだよ。きっと新聞記者か、テレビ局の記者と勘違いしていたんだけろうな。何しろ生れてこの方、恐らく批判的な質問などされたことないから、広告費をちらつかせたんだ」
実際、東京電力の年間の対メディア広告費は二百億円を超える。電気事業連合会全体(沖縄電力含む十社)では八百六十億円。もちろん日本一のクライアント(広告主)である。だから、勝俣会長がそうした脅しを行ったら、どのメディアも反応できないのだろう。」
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上杉の記事はまだ続くが省略。
河野太郎の対談では、やはり今回も国際原子力村IAEAやICRPなどの批判は語らない。日本の政治にたとえるなら、地方自体のことばかりいう、おかしな政治家。
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「国に尽くす」と御用学者たちのことをいう。国を喰らうペテン師が正確な表現だとボクは思うが……。どこ尽くしているというのか? さっぱりわからない……。
「小出裕章vs山下俊一 フクシマが露にした学者の良心」 下「」引用。
「原発推進派に「勝ったと思っているでしょ?」と嫌味を言われたこともあるが、まったくの心外だという。「私の心境は、言葉に尽くせない無念。なぜなら四十年近く原発の危険を訴えながら、原発事故を防げなかったわけです。その意味で私の敗北なんです……」
ネットでは小出氏の発言を丁寧にフォローする支持層も根付いた。だが、小出氏は祭り上げられたり、政治的な運動を率いるつもりはないと語る。
「私は一介の学者。今後も執筆や講演など自分がやるべきことをやるだけです」
一方、逆の意味で有名になったのは、山下俊一福島県立医科大学副学長。元々長崎大学教授だったが、七月に現在の立場に。彼を有名にしたのは三月に福島県で行った講演だった。多くの住民が不安ななか、「放射性セシウムで病
気は増えていません」と、他の医学的データと異なる発言を披露、多くの人から避難を受けることになった。
「福島医大に移ったはいいけれど、脅迫めいた言葉もあるということで、最近は滅多に公の場に出なくなりました」(大手紙記者)
その山下氏に取材を申し込むと、やはり「多忙のため受けられず」との返事。」
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島田真・編/文芸春秋2011年
上杉隆の記事が現実を記録していると考える。
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「上杉隆 最後の渾身ドキュメント 隠し続けた90日 福島原発衝撃の真実! 官邸、東電、大メディアの「原罪」」 下「」引用。
「▲枝野官房長官最初から“洗脳”されていた
▲「瑕疵もなけば人災でもない」断定した民主幹部
▲汚染水対策で流した“白い入浴剤”
▲東電清水社長入院のウソほか
まるで『1984』の世界に迷い込んだかのような錯覚。東京電力の記者会見に参加しているとそんな感覚に迷い込んだかのような錯覚。東京電力の記者会見に参加しているとそんな感覚に襲われるという。政府や東電の共通するのは「真実」捻じ曲げようとする権力とそれを追認するメディアの堕落。ジャーナリスト休業直前、上杉氏最後の告発。-略-」
半ばロビーで寝泊まり。下「」引用。
「私は三月十三日から、節電のために暖房の効いていない暗いロビーに半ば寝泊まりし、早朝から深夜まで行われる記者会見に自由報道協会所属のフリー記者らや海外特派員らと参加して、繰り返し、疑問を投げかけていた。
「東電の会見に出続けていると、なんか自分の頭のほうが変になっちゃたかのように感じるんですよね」」
「輪番停電(計画停電)」 下「」引用。
「筆者が最初に東電会見の洗礼を受けたのは、「輪番停電」(当時、のちに計画停電)を発表した日の翌日(三月十四日)のことであった。
震災直後、東京電力は被災地に電気を送るため称して、「輪番停電」の実施を発表した。だが、私にはすぐにこれがプロパガンダであることがわかった。なぜならその発表前、情報源の一人から、
「明日にも原子力発電所の必要性を強調するため、輪番停電を宣言するぞ」
という情報提供を受けていたからだ。
実は、東電管内の十七基の原発をすべて止めても、水・火力発電所の稼働で区内の総電力をまかなえる--という情報を、柏崎刈羽原発事故当時のデータと共に提供されていた。この反論材料をもって、私は東電本店三階出行われる「輪番停電会見」に臨んだ。
その会見で、藤本孝副社長が懸命に電力不足を説明する中、私は輪番停電がそもそも必要のないこと、むしろ震災発生直後の救援の後方支援の必要性からも後方拠点となる東京などに停電を起こすべきではないという論理をぶつけ、こうかぶせた。
「壊れている発電所、修理中のもの、稼働中のもの、検査中のもの、その数をすべておっしゃってください」
これに対し、藤本副社長はしぶしぶこう口を開いた。
「えー、まもなく鹿島の四百四十万キロワットの火力が動き出し……」
その瞬間、斜め隣りに座っていた部下が、藤本副社長の耳元で何かをささやいた。
「いや、失礼。復旧は四月になる見込みということでありまして……」
ここまで続けると、今度はさらに後方に座っている職員からメモが入った。
「訂正させていただきます。鹿島の火力発電所は少なくとも夏まで復旧の見通しが立たず、さらに発電量は三百二十万キロワットの間違いでした」
このやり取りを報じたメディアは、私の知っている限りは一社も無い。むしろ、輪番停電は被災地のために必要なのだという、東電の根拠の薄いデマを広める有様だった。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/9b/121277519b2b738b558b84be46e7fb19.png)
「勝俣会長のお詫び広告発言」 下「」引用。
「なぜ、メディアは事実を報じることができないのか。
それは、勝俣恒久東電会長が初めて会見に登場した際の、私との喜劇的な次のやり取りを見てもらえば理解できるだろう。
上杉「会長にのお伺いします。いま、東電管内の大口事業主などに対しては節電や停電の協力を呼びかけていらっしゃいます。一方で、民間放送など民放テレビには節電すらお願いしていませんね。阪神のときも、柏崎刈羽原発のときも停波するなどテレビは節電に協力しました。なぜ、電力消費量の多い民放テレビさんにはお願いしないんですか?」
勝俣「えっと、あした広告を出します」
上杉「はっ?」
勝俣「明日だな(横の幹部職員に確認を取りながら)。はい、明日、全紙にお詫び広告を出しますから」
勝俣会長の発言を理解できなかった私は、質問の仕方が悪かったのだと思い、もう一度、同じ質問を繰り返した。静まり返る会見場で、勝俣会長の声がマイクヲ通して再び響いた。
「え、はい。テレビ局さんにも広告を出しますから」
それでも意味が取れない私が、勝俣会長の真意を理解したのはその日の夜、情報源からの電話によってだった。
「上杉君、あれ、勝俣さんは君のことを脅していたんだよ。きっと新聞記者か、テレビ局の記者と勘違いしていたんだけろうな。何しろ生れてこの方、恐らく批判的な質問などされたことないから、広告費をちらつかせたんだ」
実際、東京電力の年間の対メディア広告費は二百億円を超える。電気事業連合会全体(沖縄電力含む十社)では八百六十億円。もちろん日本一のクライアント(広告主)である。だから、勝俣会長がそうした脅しを行ったら、どのメディアも反応できないのだろう。」
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上杉の記事はまだ続くが省略。
河野太郎の対談では、やはり今回も国際原子力村IAEAやICRPなどの批判は語らない。日本の政治にたとえるなら、地方自体のことばかりいう、おかしな政治家。
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「国に尽くす」と御用学者たちのことをいう。国を喰らうペテン師が正確な表現だとボクは思うが……。どこ尽くしているというのか? さっぱりわからない……。
「小出裕章vs山下俊一 フクシマが露にした学者の良心」 下「」引用。
「原発推進派に「勝ったと思っているでしょ?」と嫌味を言われたこともあるが、まったくの心外だという。「私の心境は、言葉に尽くせない無念。なぜなら四十年近く原発の危険を訴えながら、原発事故を防げなかったわけです。その意味で私の敗北なんです……」
ネットでは小出氏の発言を丁寧にフォローする支持層も根付いた。だが、小出氏は祭り上げられたり、政治的な運動を率いるつもりはないと語る。
「私は一介の学者。今後も執筆や講演など自分がやるべきことをやるだけです」
一方、逆の意味で有名になったのは、山下俊一福島県立医科大学副学長。元々長崎大学教授だったが、七月に現在の立場に。彼を有名にしたのは三月に福島県で行った講演だった。多くの住民が不安ななか、「放射性セシウムで病
気は増えていません」と、他の医学的データと異なる発言を披露、多くの人から避難を受けることになった。
「福島医大に移ったはいいけれど、脅迫めいた言葉もあるということで、最近は滅多に公の場に出なくなりました」(大手紙記者)
その山下氏に取材を申し込むと、やはり「多忙のため受けられず」との返事。」
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