磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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願い限りなく 原水禁運動にかけた女医の生涯

2007年12月01日 | 読書日記など
『願い限りなく
  原水禁運動にかけた女医の生涯』
        服部翠・著/東研出版1983年

著者の夫は、この主人公の女医と知人であったようです。「ボウヤ」と呼ばれていたと書かれてありました。



藤間身加栄(とうまみかえ)が、この本の主人公といっていいだろう。

ビキニ事件をきっかけとしてその後半生を大きく変えていく……。
「ビキニ」は「科学」と「人間」との関係について意識的に考えはじめたという……。

ビキニ事件の直後、各方面から「原水爆反対」の声が高まる。
原水爆禁止を要望する日本の医師の会が結成。
--6月6日全国集会がお茶の水の日本医師会で、二百余名の医師が参加。

婦団連が中心で組織されてもの国交の無い中国へで行き、「社会主義者」を名乗ったという。


身加栄の父、与吉は立派な人物であったようだ。

--国家総動員法により、藤間研究所は企業化したばかり製薬業者をやめる。
淀橋の第七陸軍技術研究所の嘱託として徴用される。下「」引用。

「身加栄は将校の軍服に身を固めて、黒塗りの迎え車にのりこむ。この軍服を着ていけば、たいていのところでいうことをきいてくれることも、身加栄は知った。事実、身加栄はこの軍服を着て、教師をしている妹の逸栄を引きぬきにいったらきわめて簡単に事が運んだ。「お国のためなら喜んでさしあげましょう」と。」

戦後、ビキニの抗議運動が高まる。
1955年5月、放射能影響国際学術懇談会が日本で開催。
実行委員には湯川秀樹も名を連ね、医学関係者も第一線の人たちが参加。
責任者、都築正男(東大名誉教授、日赤中央病院長)の名で世界の学者に招請状が発せられた。
これにより九人の著名な学者が四つの大陸から国際医学調査団として参加、開催の運びとなったという。

第8回原水爆禁止世界大会にむけての活動。下「」引用。

「この会で身加栄は、
「原水爆禁止の運動は、実験反対をきりはなすのではなく、競争の原因となる戦争をなくすために、軍備全廃の実現をめざして運動が行なわれなくてはいけない」
 と訴え、これも満場の拍手につつまれた。」

1968年4月9日、藤間身加栄、享年72歳、死因リューマチ性心臓炎。







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