磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

私たちは訴える『障害者と戦争』

2009年03月10日 | 読書日記など
『私たちは訴える『障害者と戦争』』
    日本教職員組合/日本教職員組合1982年

日教組が募集したという……。下「」引用。

「日教組は、国際障害者年の記念事業の一つとして、前に述べたような、歴史の教訓をふまえ、平和教育を推進することの重要性から「障害者の戦争」というテーマで体験や記録を多くの人々から募集しました。」



■目 次■
はじめ
山奥の僻地に疎開して
 戦争は奥地の平和も許さなかった 新堂広志  8
障害者と戦争は相容れない
 「平和」が私をよみがえらせた 岡村周昭  23
心を無惨に打ち砕いた太平洋戦争
 どもりのためにうけた屈辱の数々 谷三男  38
『徴兵検査の日の屈辱』 新堂広志  55
「まっかな炎とジャガイモ」
 障害者運動にかかわった原点として 古河辰彦  61
屈辱と憤りの中学五カ年
 「恥を知れ! 身のふり方を考えよ」 安江洋  72
芳夫の『思い出』に寄せて
 集団疎開学園の日々の営みから 櫃田祐也  81
一視力障害者の戦時下の生活体験
 腕白子象が生きぬいた学校と家庭 佐野昭典  103
戦時下の盲学校と寄宿舎生活 富田伴七  103
「一八歳の日記」から
 昭和二○・一二・五より二○・八・一五まで 八木映  130
忘れ得ぬ徴兵検査と炭住生活
 絶対にゆずれない平等と平和 重岡満  151
太平洋戦争と光明学校
 守り得た抵抗・説得・協力の足跡 松本保平  162
歴史的事実が教えるもの
 平和のもとでしか障害者は生きられぬ 河野勝行  185
あとがき  208
 

疎開先で、他人の家に平気で入ってきては、者を欲しがる村人。
「金がものをいう奥地疎開」

「障害者の身の不甲斐なさから自殺を」


法ができて……。下「」引用。

「そんな状態の私でしたから、昭和二一年に平和憲法が発布された時も、また民主主義という言葉も、耳にし、読みもしましたが、何の実感もありませんでした。
 それが食糧事情も好転してきた昭和二五年頃でしたか、これまで不具者(かたわもの)と呼称されてきていたのが、改めて身体障害者と呼称されるようになって、ヘェーと驚くとともに、それは大へんな喜びでした。これまでの邪魔者扱いの“かたわもの」から、身体障害者……これからは、今までのように世間に遠慮して生きていかなくてもいいんだと、しみじみと歓びを噛みしめたものでした。-略-」

--吃音
軍事教練で、番号をいうときに困ったという。

「国賊よばわりに自殺を決意」

index

「軍部も廃兵を傷痍軍人と改称」下「」引用。

「国に尽くして名誉の負傷をし軍人を、廃兵とは何事か。負傷兵は廃物ではない。この不当な、しかも不名誉な名称は即刻、改正すべきだ」とまくし立てた。
 中将(*井深健二軍医)は黙って聞いていたが、突然机をたたいて「全くその通り、早速改めましょう」と、はっきり答えた。廃兵は、いつの間にか傷痍軍人と呼ばれるようになったが、今でも、この時の話が、何か関係があるような気がしてならない。その後、中将から非常に丁重な礼状をもらった。」

兵士とは……。下「」引用。

「そしてこのように兵士が際限なく消耗されたのも、これまた偶然ではありません。なぜなら、「兵士は人間ではない。数にすぎない」、「僕らは兵を一人ひとりの人間だと考えちゃいない。一人じゃない。一つという数ですよ。ただの数ですよ。一人ひとりの兵隊を人間だと思っていて、戦争なんてできますか」(日露戦争当時の士官学校生の話)というのが軍隊上層部、したがって政府・大資本家の基本思想だったのですから。」



全SCAN。




もくじ

もくじ





エンタメ@BlogRanking




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。