磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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週刊文春 2011年12月8日号

2012年02月11日 | 読書日記など
『週刊文春 2011年12月8日号』
   島田真・編/文芸春秋2011年

特集名 秋篠宮衝撃発言 皇太子雅子さま「孤絶」の全深層



「吉田所長(福島第一原発)が号泣した日 メルトダウンと戦った指揮官 緊急入院!」
自衛隊と消防の幹部の「表敬訪問」 下「」引用。

「三月十四日に水素爆発した三号機。その冷却給水に向かうため重要免震棟に立ち寄った自衛隊部隊に、重要免震棟の東京電力側は、「安全であり、何も起こらない」と伝えていた。
 ところが直後、自衛隊隊員三名が爆発に遭遇し負傷してしまったのだ。
 また消防舞台の出動を前にして、ベント(放射性物質を含む空気を原子炉建屋から外気へ放出)を行おうとして、その直前に慌てて中止したこともあった。
 前日に、自衛隊と消防の幹部が「表敬訪問」を希望していることを聞かされた東京電力の幹部は戦々恐々とした。
 --“表敬”とは表向きで、自衛隊と消防の幹部たちは、猛烈な抗議でもって怒鳴り込んでくるんだ!
 そして、その日、四月十一日の午前十時過ぎ。乗り込んできた自衛隊と消防の幹部たちを、吉田所長以下、二百四十八名の東電社員は緊張した面持ちで迎えた。
 ところがである。
 自衛隊と消防の幹部は、神妙な面持ちで吉田所長に近づき、その手を握った。
「互いに、様々な責任と思いを背負っていることを痛感します」
 吉田所長は面食らった。そして自衛隊と消防の幹部たちの、覚悟の目を黙って見据えた。
 吉田所長は、そのとき、図らずも、ある言葉が脳裏に蘇った。
--戦場での同士。
 だからなのか。吉田所長は、それまで、心の奥底に押し込めていたものが思わず出てしまった。
「東京からは、誰もここ来ようとはしません。まあ、我々は我々で、がんばるしかありません」
 吉田所長が口にした“東京”とは、もちろん、東京電力本社のことだった。
 会長や社長が来たことはあったが、それらは、まさに“訪問”というたぐいのもので、数時間の滞在後、そそくさと東京に戻っていったのである。-略-」

吉田所長の反乱……。下「」引用。

「その日の約二週間前、四月初旬、吉田所長は、初めての“反乱”を起こしたていた。
 テレビ会議の席上で、矢継ぎ早に、しかも一方的に指示を下す東京電力本社側に、黒いサングラスをかけて登場した吉田所長が、マイクを投げ捨て、“やってられない”と怒声を発したことは小誌で既に報道済みだが、実は、そのとき、東京電力本社側は、細野豪志首相補佐官(当時)がいるにもかかわらず、テレビ会議を慌てて強引に中止させた。そして、重要免震棟に幹部を派遣。それは吉田所長を抑えこむためだけではなかった。
 その日から、東京電力本社は、吉田所長を現場に据え置くことを決定した。
 一介のサラリーマンでしかない五十六歳の男が、国家の緊急事態の人身御供となった瞬間でもあった。-略-」

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