磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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核と人間I&II

2008年08月14日 | 読書日記など
『核と人間 I 核と対決する20世紀』
   坂本義和・編/岩波書店1999年

■目 次■
I 近代としての核時代 坂本義和  1
II ヒロシマの真実を再訪する ロバート・J・リフトン、
    グレッグ・ミッチェル 大塚隆(訳)  65
III ヒロシマ・ナガサキと日本 田中孝彦 87
IV 核兵器開発と科学者 橋本毅彦  133
V 核戦略の中の日本 佐々木芳隆 187
VI 原子力発電をめぐる日本の政治・経済・社会 長谷川公一 281
VII 反核運動 メアリ・カルドア 高原孝生(訳)  339

イメージ戦争とシンクタンク……。下「」引用。

「六○年代以降流行した核抑止戦略は、「戦争の主観的等価物perceptual equivalent of war」だった。ここから、実際に戦争を行なう役目を担う軍人とは別な、イメージ戦争を専門にする「戦略論者strategists」という職業が繁栄し「think tank」という、グロテスクな名詞で総称される機関が、軍や軍需産業に密着して、また大学の一角に陣取って、隆盛を誇ることになった。ここに、第三のレベルとの接点がある。」

index

ヒロシマというと、無反応だという……。下「」引用。

「ヒロシマと聞くと、アメリカ人は神経にさわられたような気持になる。そのことが一九九八年のアメリカで、ヒロシマへの原爆投下の日(一九四五年八月六日)があまり注目を引かずに過ぎ去った理由のひとつなのだろう。それに、三○周年、四○周年といったゼロで終わる記念の年以外は、こうした無反応はよくみられることである。」

ヒロシマ症候群という病にいる米国人……。下「」引用。

「一九四五年の原爆投下を今日ふりかえって、それが非論理的で違法である--世界の目から見て、また困ったことにわれわれの目から見てもそうなのだが--とされないように、核兵器についての、真の道徳的な見地に立った判断を避ける--これを「ヒロシマ症候群」と呼ぶことができよう。それは著名な物理学者のラルフ・ラップが「巨大な空虚」と呼んだ、「ヒロシマをアメリカ人の良心から追い出し、骨抜きにし、根こそぎにする」という態度を、われわれがとり続けているということなのだ。」

感覚マヒがあった被爆者……。下「」引用。

「感覚麻痺は、心理学的にいうと、感覚を受容する力や傾向の減少として定義される。一九六○年代初期広島の被爆者たちに筆者(リフトン)がインタビューしたとき、彼らは、原爆投下時の死の苦悶に満ちた恐ろしい光景を目撃したことを思い起こすと一方、そうした感覚が非常に早く消え失せることを知った。これは恐ろしく、まったく制御不能なイメージに遭遇したとき、心がそれに圧倒され、つぶされてしまうことを避けるための有用な心の防衛メカニズムだといえる。」

そして、アメリカ人には今も被爆者を見つめない良心の麻痺がある……。
--一部日本人もいるし、被爆者のなかにさえいる……。

プロテスタントの神学者はまるで神のよう……。下「」引用。

「一九四六年、戦傷ムードも薄らいできたころ、米国が原爆を投下したことにたいして、いくつかの団体から批判や批難の声が上がりはじめた。コナントはその中のひとつの声明に当惑した。米国のプロテスタント教会の代表団体が、原爆投下を批難する声明を全米神に掲載し、そこに現実主義的な神学者ラインホールド・ニーバーが署名をしていたのである。ニーバーは、戦時中に『光の子と闇の子』といった著作を公刊し、米国の戦争遂行を精神的に支援する神学的議論を展開していた神学者である。コナントはニーバーの著作を好み、ハーバード大学に招聘しようとするほど、彼を高く評価していた。」

あの聖書のキリストではない神を創造していった神学者たち……。
--核兵器でさえも、目覚めぬ人たちもいる……。

核の持ち込み……。下「」引用。

「「核持ち込み」が日本で初めて戦時問題になったのは、五五年三月のことだった。鳩山一郎首相が外国人記者団との会見で、「日本に(米国から)原爆を貯蔵してほしいという要求があれば、受け入れるか」と問われ、「私は「力による平和」の状態は長続きしないものだと思っているが、もし現在の「力による平和」を正当として是認するなら、認めなければならないだろう」(『朝日新聞』五五年三月一四日付夕刊)との見解を表明したのである。国際政治の駆け引き道具として核兵器の影がしだいに大きくなり、それを警戒する国際世論が高まりつつあある時期の鳩山見解だった。」

岸信介首相は「憲法違反でない核兵器もある」。
--自衛力になる核兵器もあると発言。
それが、今も続くという……。
--自衛力になる核兵器などない!

ライシャワー発言についても書かれてありました。




『核と人間 II 核を超える世界へ』
   坂本義和・編/岩波書店1999年

■目 次■
II 冷戦終焉の意味するもの 高橋進  1
II 冷戦後紛争の政治経済学 遠藤誠治  59
III 核廃絶の条件と展望 吉田文彦 115
IV 二一世紀の科学・技術と平和 池内了 167
V 核・レイシズム・植民地主義 米山リサ 229
VI 核時代を超えて アシース・ナンディ 竹中千春(訳)  257
VII 「ヒロシマの心」と想像力 大江健三郎 295


ヨーロッパのヨーロッパ化……。下「」引用。

「「ヨーロッパのヨーロッパ化」とは、西ドイツの論客ペーター・ベンダーが『イデオロギー時代の終焉』の副題で使用した言葉である。東方政策の推進に貢献した彼が主張したことは、ソ連・東欧を含む全ヨーロッパの形成であり、ゴルバチョフがその後提唱することになる「ヨーロッパの共通の家」の嚆矢であった。この流れのなかで「アメリカなきヨーロッパ」なども話題になったのが、八○年代ヨーロッパであった。話題になったばかりでなく、事実として「ヨーロッパのヨーロッパ化」が進行していった。それは安全保障、政治、経済の面で見られた。」

「日本の日本化」が必要だろう……。

湾岸戦争と「ならずもの国家」論の台頭。
--しかし、唯一の「ならずもの超大国」はアメリカという人もいる……。

このことは、どうなったのだろうか? 下「」引用。

「一九九八年七月にローマでの交渉で採択された国際刑事裁判所(ICC)設置条約は、「本来的に無差別な兵器」の使用を戦争犯罪の定義に含めた。この定義の中で具体的に、核を含む大量破壊兵器使用を戦争犯罪とみなすかどうかは、条約発効の七年後に再検討することとした。」

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